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昭和11年~昭和20年(終戦まで)

   昭和19年(1944)

ナゴを奨励

松根油(しょうこんゆ)は茂平の八幡様で
「ヒマ」の栽培

青年団の訓練
二度目の「赤紙」がきた

出征までの日々

ひろこに会いたくて

出征軍人は用之江で別れの言葉
千人針の話
手紙の検閲
本土防衛のため渥美半島に行く

戦死①『戦死した遺族に「おめでとうございます」といえるのか ?』と作者が聞けば
戦死②骨を持って大宣の遺族の家に行く
戦死③戦死は城見の村民葬で盛大に
戦死④「名誉の家」
戦死⑤資料

資料・『銃後の守り』と悔恨
「決戦の年」といわれた
学童疎開
12/1 航空機燃料用の松根油の緊急増産始まる。

昭和19年中国鉄道のこと

城見小学校の生徒数(昭和19年

岡山師範学校の教育方針(昭和19年

倉敷航空隊の予科練

戦時の女学生(井原高女)
当時の女学校(高知高女)
岡山市民の食生活

防空壕

赤とんぼは苫無の高丸に隠す
茂平の塩田

黒塗りの家












      
たけさんの松山予科練
興譲館中学3年の義弟は予科練に合格した


     
妹の満州吉林市の生活



   
   
   
 
   
 
 
 この年
 

 


昭和20年


昭和11年 昭和12年 昭和13年 昭和14年 昭和15年 昭和16年 昭和17年 昭和18年 昭和19年 昭和20年(前半) 



昭和11年~昭和20年(終戦まで)

更新・2003年5月21日・2017年7月1日