![]() 笠岡の西の端の農漁村だった茂平は、 これを機に、地形も、生活も大きく変わった。 (それまでの茂平は、陶器の皿山と干イチジクの「笠岡市茂平」だった。) |
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| 日本鋼管が茂平沖に誘致決定 | ||
| 城見漁協は消滅した | ||
| 昭和元禄と3C・茂平版 | ||
| 県道の路線設定は難航し | ||
| 茂平に県道ができる | ||
| 茂平の越県公害 | ||
| 城見行政委員長 | ||
| 昭和41年〜昭和50年 | ||
更新・2001年1月13日・2017年2月10日
大正6年〜昭和10年 昭和11年〜昭和20年 昭和20年〜昭和30年 昭和31年〜昭和40年 昭和41年〜昭和50年 昭和51年〜昭和63年 平成1年〜平成13年