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福山市史・福山大空襲5 被害


わずかニ、三時間の空襲によって、市街地のほぼ80%にあたる95万坪が灰燼に帰し、市内はほとんど焼け野原になった。

全戸数12968戸の78.5%に相当する10179戸が焼失し、被災者は全人口の81%にあたる47326人にのぼった。


六万人以上の都市で1000人余の死傷者というのはたしかに少ない。爆弾でなかったこと、および夏の夜の九時半ころで、まだ多くの人が寝入っていなかったことによるのであろう。

救援活動


先頭に立ったのは、来襲中「隠忍自重」して敵機の飛び去るのを待っていた軍隊であった。
九日午前三時には陸軍が福工に、海軍が誠之館にそれぞれ救援所を開設した。


敗戦

この日(8月8日)ソ連が日本に宣戦を布告した。





福山市史(下巻)の一部。

「8月8日の爆撃は我が軍の防戦として見聞せしものなし」、「戦災後、焼け跡の片付けに従事せし外記すへきものなし」という為体であった。
「神州不滅」をうたい「皇軍不敗」を誇ったにしては市民の信頼をうらぎるものであった。


















2001年4月30日