大津野地区の空襲


大津野の米軍襲撃の正式な史料はないようで、回数や被害は不明。
「大津野のあゆみ」では日付がはっきりしているのは7月2日のみ。
母は、桃の袋掛け中に襲われたと話していたが「大津野のあゆみ」6月以降と書いている。
「物資を隠す」というのも俄に信じられない。大半は勝手に持ち帰ったと思われる。


以下「大津野のあゆみ」より転記する。



6月より米軍機グラマンの大津野航空隊襲撃が頻繁に始まる。
7/2米軍機が大津野飛行場へ20機30機と4度来襲。
8/15正午、終戦。
村人、航空隊の物資を津之下の山に隠す。
11/2米軍福山に進駐、大津野の旧海軍航空隊施設を兵舎として入った。(歩兵大隊約1.000名。
11/14備後灘、大津野湾海域の機雷掃海航路啓開。機雷3ヶ処分。
11月GHQ飛行場の跡地の塩田化方針を発表。

昭和21年3/23 米軍に替わりオーストラリア軍400名が進駐。








2015年09月09日 | 昭和20年