ともちゃん・きよちゃんの姉妹はウチともそんなに年齢差がないのでよくあそびに来ていた。
となりの家は漁師だった。
おばあさんはあまった魚を籠にいれてウチの台所に持ってきてくれていた。
おばあさんの履物は覚えてないが音がしない。
(多分,藁ぞうり・・・ウチは玄関から(玄関は台風の時意外は開けっ放し)台所まで土間の通路・・・だから音は聞こえない)
ウチに遊びに来ているともちゃん・きよちゃんも後ろ姿のおばあさんを見て「あっ、おばあさん」と独り言。
おばあさんは台所に魚を置いてそのまま帰っていった。音もしないで。
隣りのおばあさんの場合子供の僕たちも親に何も言わない。親は籠とその傷み汚れ具合などで何処の家から・・とういのはすぐわかるから。
ごくたまに分らないのがあった。頻度が少ない家である。子供も見ていない。
その場合は2〜3の候補者のうちに確認をしていたようだ。
籠は洗って、野菜や果物を入れて返していた。
僕がなぜこういう事を記すかというとおばあさんが亡くなる頃までの茂平は完全に家はノーガード、そういう時代の象徴的な日常が隣りのおばあさんであった。
2000年07月01日