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(作者記)
苫無はトマンシと呼んでいた。
苫無に行くには堤防の上の道を歩く。
堤防の海側の捨石の上を歩く。
帰り道、隣りのおじさんが船に乗して波止まで帰ることもあった。隣りのおじさんが浜にいる日はいつもそれを期待していた。
苫無は海水浴にもなっていた。
漁師の人は船を繋ぎ、浜に座って網を繕っていた。
大潮の時、潮が引くと沖まで歩いて行けた。
も場がみごとにひあがっていた。
そこで石をはぐりあそんでいた。
苫無で遊ぶ時には家に帰るのが遠いため、よく昼飯代わりにドンガメを焼いてたべた。
山から木の枝、浜辺の石でクド、マッチの代わりに火打ち石。そうやって焼いてたべていた。
ドンガメが手にはいらない時は後ろの畑からスイカを泥棒してたべた。
苫無の浜には苫屋が2〜3あり、そこには大きな釜があった。
釜では網を炊いていた。染めていたのかもしらない、風呂釜の中は朱色で臭いがあった。
今、苫無へ行く土手はまだ残っている。
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