内海(うちうみ)と外海(そとうみ)は水門で区切られていた。
その水門は漁師の家が輪番で開け閉めをしていたのだろうか?

当番はねぃ。
”ぎんやん”と”りょうやん”がやりょうた。
家が近いけい。
(水門の開け閉めには)国から金がでて、それを村が貰ぅて、村で金を足して、それを払ようた。
昭和29年頃水門はコンクリートになった。それ以前は側面は石垣、門は木製で、そこには蝙蝠がやまとぶらさがっていた。
荒神さんの大きな松ノ木を切って、挽いて、門をこしらようた。
だいぶんと松の木がいるけのう。
2002年5月26日