麦飯 (母の話)

だいたい7:3くれいなら食べられる。

ボニ・正月・祭りが米の飯。

家を建てるとき(昭和35年頃)、たましまん(玉島の母の実弟)来て「あんた方にゃ、まだ麦飯をくようんか」いわれた。

よお、おべぃとる「麦飯がめずらしいから食べさせぇ。」いわれた。

あっこらは米の飯ばぁじゃろう。

そおすりゃあ、夜燈の親類の野々浜のデショがあろう、あっこに田圃がえっとある。
「麦飯は二杯も三杯も食べにゃあ、腹がふくれんけど。米の飯は一杯たべりゃぁある」
ゆうちゃったけど、ほんとじゃった。

米は強いけぃ一杯たべりゃあ、ほんに腹がふくりょうた。

結局麦は損じゃったのう思うた。

夜燈のおばさんのお母さんがようたが(米の飯を食べることは)ほんまじゃったなぁ、といつも思う。


(桃などの)袋掛けに来てくりょうちゃた。あわぁな事をよおるが思うて聞きょうたが、ほんまじゃった。
麦飯は腹へもたれんから何杯も食わんと、食べたようになかった。

2001・1・1



茂平の食べ物