水落の畑


今、クリーンセンターの後ろ浄水場があるすぐ上。あのあたりを「水落」と呼び、その畑には船を漕いで行っていた。昭和30年代前半までの事。


水落には三反以上畑があった。
あっこが主じゃった。

麦を植えたり、夏は除虫菊を植えたりしょうた。それと芋と。

弁当をもって畑にいきょうた。一人で行く時は別じゃが。

(遠くて)どうにもどうならんけぃ売ったんじゃが。
あきらさんかたへちいと売る。おごしへ売る。おごしに買うてくれた。
それで「ほりあげ」やこ買うた。もこさんかたに「娘を嫁にやるけぃ、金が要る」言うて売りにだした。
こっちが出さえすりゃぁ買ようた。


おさむは船を漕ぎょうた。


船がないと行けんけぇ。
今は「はたびら」まで車が上がる。

海辺を通たり、山のなかのこまい道を通たり。道はこまかった。

せいで、山根の海辺を岩ごろの上を歩いてかえりょうた。


「はたびら」はおじいちゃんが元気な頃買うた。みかんを植え取った、植え替えて枇杷を植えとった。ええ枇杷が成りょうた。今はかずらがはえて、荒れ放題になっとる。



2002年1月1日・母の話





母の話・2002.9.15

水尻の東側の海辺
満潮の時も、通れる道がついとった。

歩いて急の(上り)の道じゃった。毎日行きょうた。

麦や芋や薄荷を植えとった。
三反あった。

おひちに茶碗や箸や茶をいれて・・、大荷物じゃった。みな持っていきょうた。

かんちゃん、ゆきのりさん、やっさん、やとう、
こうきちゃん方、中や、端や、あきらさん方、にいや、道を通って。(細いが)にぎやかな道じゃった。

船に積んで、港に揚げて、車(タイヤ付きの大八車)に乗せて、そうやってもって帰りょうた。

薩摩芋でもええのが出きょうたから売りょうた。年末には芋と米を少し売って金(カネ)にしょうた。
そうでもせんとカネが入るもんはなかった。





茂平の生活