隠岐の島ウルトラマラソン参加レポート

 

10月23日(日)、第一回隠岐の島ウルトラマラソンに参加した。第一回という記念すべき開催であり、離島を一周するというコース設定に大きな魅力を感じてのエントリーだった。受付は前日のみのため、必ず10月22日(土)に行く必要があり、自分の走力で予想されるゴールタイムでは、レース当日本土行きの船便はなくなるため、帰りはレース翌日の10月24日(月)にならざるを得なかった。結果、2泊3日の旅となった。前日からの天気は低気圧の影響で大荒れ、本番での走りも大荒れとなった。にちなん(78.5km関門タイムアウト)の雪辱を果たし、ウルトラ4回目の完走はなるのか?果たして結果は????

 

     前日

加賀港発着の高速船レインボーを利用する予定だったが、低気圧の影響による荒天のため高速船欠航の可能性がネット上によせられたため、急遽七類港からのフェリーに変更した。早起きし5時過ぎには家を出発、8:30頃七類港着。乗船待合所には見るからにランナーという格好した人が既にたくさんいた。気持が高ぶるのを押さえながら、JTBで受付、乗船チケットを受け取る。そしてフェリーは9:40に七類港出発。

フェリーへの変更は、結果的には大正解で、結局この日は高速船レインボーは全便欠航、午後臨時便として準備されたフェリーも欠航となったため、100kmにエントリーしながら島に渡ることができずスタートラインに立てなかった人も大勢いたようだ。波の高さは6mでフェリーは大揺れ。船酔いとの戦いが2時間30分ほど続いた。既に100km走破するための試練は始まっていたのだ。

島の天気も大荒れだった。風雨ともに強く、一時的に雹も降った。そしてなにより寒かった。大会側の判断で急遽ゼッケンの上からのウインドブレーカの着用も認められるほどだった。勿論そんな準備はしていないので、とりあえずロングタイツに長袖シャツ、それに雨対策のゴミ袋を被ってスタートすることにした。                 
 宿はゆったり2人部屋。同部屋になったKさんは、月間走行距離なんと1000km、100kmベスト7時間7分、ウルトラでの優勝経験もあるもの凄い人だった。間違いなく今回の優勝候補の一人だろう。

 







     スタート

午前2時30分起床、天気予報は回復方向だが外はまだあいにくの雨模様。スタートまでにはなんとか止んでほしい。3時に朝食をとったあと4時に宿出発。雨は依然として降り続いている。そしてなにより寒い。

だが、スタート10分前になっても誰もスタートラインに並ぼうとしない。屋根がある所で皆雨を避けているのだ。5分前になってようやく移動し始めた。3分前になって自分も雨に濡れるスタート地点についた。

そして5時丁度、号砲一発とともにスタート。いよいよ長い一日の始まりだ。雨はやや小降りにはなっていたものの依然降り続いている。スタート直後は港の海岸線を走る。まだ暗いコースの上を多くの漁船の照明が照らしてくれている。何とも幻想的な風景だった。

 

     スタート〜48.5kmレストステーション

雨はスタート後2〜3時間ほど降り続いたが、激しくは降らなかったのでそれほど気にはならなかった。序盤は快調、20kmまでのタイムは2時間を切っており、今回5回目のウルトラ挑戦になるが、最速のスタートかもしれない。しかし、コースに全く平坦なところはなく、小刻みなアップダウンが続いていた。

20kmくらいから両足の親指が痛くなってきた。アップダウンの激しいコースの影響か、それとも一週間前に買ったばかりのシューズが足に合ってないのかもしれない。親指の痛みはその後徐々に増しゴールまで続いた。30km付近からは両足首がだるくなりペースが落ち始めた。

20km〜40kmまでの20kmは2時間16分ほどかかってしまったが、まだまだ気力は十分、まずは48.5kmのレストステーションの隠岐そばを楽しみに足を前に運ぶ。そしてなんとかレストステーションに到着。ここで、隠岐そば2杯(なかなかおいしい)とおにぎりを2個食べ、ウェアを着替えた。雨が上がったとはいえ、風は冷たく肌寒かったので長袖にした。約30分ほど休憩してエイドを後にした。

 









     48.5km〜77.4km

再出発直後は比較的調子よく走れた。しかし、長くは続かなかった。60km手前から厳しい峠越えが始まり、この下りで右足に違和感を感じた。膝の外側が着地と同時に激しく痛くなるようになり、ぺースは急激に落ちた。少しでも下り気味になると走れず歩かざるを得ないようになり、しばしば足を止めては屈伸やストレッチを繰り返すようになった。ペースはキロ10〜12分前後、ひどい時は1kmに15分要したこともあった。ペースが落ちることで体も冷え、気力さえも徐々に吸い取られていった。60km〜70kmの10kmには1時間47分以上を要した。

次の70.8kmの関門手前ではマジでリタイアを考えるほど精神的にもネガティブになっていた。本気でリタイアを宣言するつもりで、70.8kmの関門兼給水所に到着。しかし、ここでは、やんややんやの大声援と拍手で迎えられ、とてもリタイアを宣言できる雰囲気ではなかった。結局水分を補給した後、“頑張って!”の声に後押しされ次を目指すことに....とほほ...

 70km過ぎからは厳しい峠越えが始まったこともあって、状況は変わらないどころか益々ペースは落ちていった。このままではリタイア宣言せずとも、どこかで関門に引っ掛かることは明らかだった。

 次の関門は77.4km。ここにはぜんざいがあると聞いていた。ぜんざいはあまり好きではないが疲労困憊の体にはいい刺激になるだろう。とにかくそこまでは行こうと思って走った...いや歩いた...。超スローペースのまま何とか77.4km地点に到着、ここでもやんややんやの大声援に迎えられた。島の方々の応援には本当に頭が下がる思いだ。ぜんざいを食べると少し元気が出てきた感じがした。結局ここでもリタイア宣言はできず、“頑張って!”の声に後押しされ再出発。

 








     77.4km〜90km

 ここまできて自らリタイア宣言する気持は薄らいできていた。前回にちなんで引っかかった78.5kmは越えななければ...80kmまでは行きたい...そんなことを考えながら走っているうち、リタイアというネガティブな気持から完走したいという気持へと徐々に変わり、ペースも徐々に上がってきた。

 でも、70km〜80kmの10kmに2時間11分を要した等60km以降のペースダウンの影響は大きく、既に逆算するとキロ10分ではゴールの制限時間に間に合わないところまで追いつめられていた。給水等によるロスを含めてキロ9分までペースを上げなければならない。このペースアップは結構きつい。

 80km以降は気力でキロ9分前後にまでペースを上げた。このあたりキロ表示が1km毎だったのには大変助かった。キロ毎に目標ペースを確認しながら走ることができたので、その度に完走の可能性が徐々に大きくなることを感じながら走ることができた。この精神的影響は大きい。これがもしキロ表示が5km毎だったら...もしかしたら途中で気持が切れていたかもしれない...

 80km〜90kmまでの10kmは87分で走れた。下りでは依然としてほとんど走れないものの80kmまでの10kmに比べてキロ4分以上ペースアップできた。おかげで90kmを通過した辺りで完走は確信した。残りはキロ10分でOKだ。あとは足の状態が今以上悪化したいことを望むだけ。

 

     90km〜ゴール

残り10kmをきったところで、既にあたりは真っ暗になっていた。ここから隠岐空港の周辺を走るが、ここはアップダウンがありペースは落ちた。制限時間に対する残り時間を気にしながらも、足に負担がかからないようあまり無理はしなかった。隠岐空港を抜け、西郷大橋を渡るところで残り2km。あと一息!

ゴール地点であるレインボーアリーナまでのラストは登り。でもここは気持ちよく走れ何人も抜かした。ゴール直前の直線、アナウンスの声が自分のゼッケンと名前を紹介してくれるのが聞こえた。そして最後は両手を広げて気持ちよくゴール!!速報タイムは14時間13分17秒。長かった!!!

ゴール直後、同宿・同クラブ(ネットのメーリングクラブ)の人と会い、お互いのゴールを称え合った。リタイアしなくて本当によかった。

 

     後夜祭

体育館では既に後夜祭が始まっており、表彰式の最中だった。気になるのは同部屋だったKさんの結果だが、残念ながら2位だった。ゴール後すぐ大阪に帰る予定と聞いていたので、ゴール後会うことはできなかったのが少し残念だ。でも2位とは凄い。

表彰式を聞きながら急いで着替えている最中に“かんぱ〜い!”の発声。急いで着替えをすまして会場へ。ビール、日本酒、焼酎等の飲み物、そして料理は盛りだくさんの刺身、さざえの壺焼き、蟹のお汁、焼き魚等々、ものすごい量の料理が並んでいた。更にまかないさんがひっきりなしに持ってきてくれる。普通の前夜祭・後夜祭では宴の前半で料理が底をつくことが多い(少なくとも僕の経験では全部そう)のだが、今回は、後夜祭終了時点でも食べきれない料理がたくさん残っていた。舞台では、地元の郷土芸の披露、そしてスクリーンでは隠岐の島の紹介ビデオや今日のレースのハイライトシーン等が放映された。なかなか力の入った後夜祭だと感じた。

そして宿に帰ってからもビールとご馳走、そして、今日同じコースを走った同宿の方々といろんなマラソン談義を楽しんだ。

 









     感想

島を一周した今回のレース、コースに平坦な箇所はほとんどなく、常にアップダウンの中を走ったような気がする。それだけコースは厳しく、国内のウルトラマラソンの中でもトップクラスの難易度と言われる方も複数いた。確かに生やさしいコースではなく、自身の記録も過去最遅であったが、自分の感触としては、にちなんの方が厳しいのでなないかと感じた。しかし、感じ方は人により千差万別だし、当日の体調や天気によっても変わるので正解はない。ただ、相当厳しいコースであったことは間違いない。

応援はにちなんに匹敵するくらい素晴らしく、たくさんの勇気をもらい元気づけられた。リタイアの危機から救われたのもエイドの応援のおかげである。毎回そうだが、地元の応援には頭が下がる思いだ。

日本海の景色も素晴らしかった。少し天気が悪かったおかげで日本海らしい荒海も見ることができた。

全体として、第一回ということもあり、スタッフや島民の大会を盛り上げようとする気持がひしひしと伝わってくる大会だった。コース設定のおもしろさと厳しさ、日本海の景色、スタッフの対応、島民の応援どれをとっても素晴らしい大会だと思う。唯一の不満点はエイド。給水は十分だが、給食のエイドが少なかった。これはもう少し充実させて欲しいところだ。それともう一つ、これはどうにもならないことかもしれないが、離島のためアクセスが不安定なのが気になる。ただ、だからこそコースの魅力(島ならではのアップダウンや景色)があるということにもなるのだが...これを改善しようとすると隠岐の島でなくなってしまうので、これは仕方ないか。

最後に、来年の開催はまだ決まっていないようだが、是非とも継続して開催して欲しいと思う。

 

     記録

        通過タイム     ラップタイム

10km     1:00:23   1:00:23

20km     1:59:21   0:58:58

30km     3:03:49   1:04:24

40km     4:15:38   1:11:49

50km     5:54:53   1:39:15(エイド休憩約30分含)

60km     7:15:05   1:20:12

70km     9:02:35   1:47:30

80km    11:13:50   2:11:15

90km    12:40:55   1:27:05

100km   14:13:17   1:32:22







つぎ・写真集



TOP   参加レポート  大会写真集  大会記録一覧   主催者のページ@ A




2005年11月5日  追加・2005年11月9日