にちなんおろち100kmウルトラマラソン完走レポート!
| アクシデント |
| この日のために買ったウルトラ用のシューズ(アシックスのサロマ)を家に忘れたのに気がついたのは会場に着く10分ほど前のことだった。 |
| 幸い、今までレースで履いてたニューバランスのシューズと練習用で履いてるアシックスのシューズは持ってきていた。 |
| 履くとすればNBだろう。しかしショックだ。受付だけ済ませて取りに帰るか!でもそれでは前夜祭に出られないし宿にも遅れる。疲れもたまる。 |
| どうしようか迷いながら、大会受付と宿の受付を行った。その時、取りに帰ると言い出せず、向こうの流れに乗ってしまい前夜祭後バスで宿に |
| 向かうことに。本番はNBのシューズで走るしかなさそうだ。なんとかなるだろう、NBだってそこそこのシューズだ。 |
| 前泊の宿 |
| 今夜の宿は『ゆきんこ村』。全部で40〜50人くらいはいただろうか。僕の部屋は2部屋のしきりを取って11人の大部屋。 |
| ほぼ全員が初対面って感じで会話もどことなくぎこちない。しばらくして夕食。テーブルの中央には酒の一升瓶。どうやら宿のサービスらしい。 |
| 飲みたいのはやまやまだが、これを飲んだらまずいじゃろうって感じ。これでふりがついたら明日に影響すること間違いなし。 |
| 飲んでる人もたくさんいたが僕は我慢した。夕食時いろいろ話しが聞けたが、周囲はいずれ劣らず強者ばかり。 |
| フル完走2回だけ、ウルトラ初挑戦である僕ほど実績のない人はいなかった。初ウルトラがにちなんとは!と驚かれたりもした。 |
| 夕食後、風呂にはいり、その後明日の準備をして8時過ぎには消灯。興奮のためか10時頃まで寝付けず。 |
| 当日は2時半起床。3時には立派な朝食が準備してあった。。3時半には宿を出発しスタート地点である日南町総合文化センターに向かう。 |
| スタート |
| 最終コールを済ませスタート地点に向かう。スタート地点は日南町総合センターから2〜300m程離れたところだ。 |
| 歩いてスタート地点に行くと、まだほとんど選手はおらず2番目だった。1番目の選手と少し話をしたりストレッチをしたりして時間をつぶす。 |
| その人は1ヶ月後にロングトライアスロン(スイム3km、バイク140km、ラン42.195km)を控えているという強者だった。 |
| そしてAM5時に時報と同時にスタートした。 |
| 0〜20km |
| 前半はどんなに調子がよくても抑えていったほうがいいい。5km30分を超えるペースでは絶対に走らないと決めていた。 |
| 全体を通しての5km毎のベストラップは5km〜10kmの30分12秒。ちょっと早いかもしれないと思いつつ走っていた。 |
| 20km2時間7分36秒。だいたいねらい通りのいいペースではあるが、アップダウンは激しく既に足には相当の疲労感が漂っていた。 |
| あと80km。まだまだ気の遠くなる距離に圧倒され、早くもこのレースに参加したことに後悔したくなっていた。 |
| 20〜38km |
| 20kmから25kmの間で僕の体の中の回路が切り変わったような気がした。 |
| 頭の中を覆いそうになっていた足の疲労感などのネガティブな部分を無理矢理隅っこに追いやり、とにかく足を前に踏み出して前に進む |
| ことだけを頭の中の大部分に持ってきた。気持が少し楽になった。走り型もウルトラっぽいフォームに変わった気がした。 |
| 最初の関門(36.5km)は1時間以上の余裕を残して通過。そして38km地点で念願の熊避けの鈴をゲットした。 |
| 熊が出る険しい山中 |
| いままでも相当の山の中だったが、一段と深い山中の林道へと入っていった。 |
| 下りの得意な人もいると思うが、僕は下りはきらいだ。きつい上りももちろんきらいだ。10km以上続くきらいなコースが続きうんざりしていた。 |
| いつのまにかフルのポイントを通過していた。4時間55分くらいだろうか。いよいよ未知の距離への突入だ。 |
| ふと見上げると山の相当上の方にガードレールが見える。まさかあんなところまで登らされるんじゃ!? |
| そのまさかだった。登った先のそこから下をみるとさっき僕が見ていた道がはるか下の方に見える。 |
| ひたすら続く険しい山々に先ほど切り替わったはずの僕の体の回路がショートしかかっていた。とにかく多里まで行こう。 |
| 多里でリタイヤ!?楽な選択肢が頭をよぎる。これから80kmくらいまでは楽な選択肢を選ぼうとする弱い自分との戦いが幾度もあった。 |
| 多里エイドステーション |
| 63km地点。コース上最も大きなエイドステーションにやっとの思いでたどりつく。団子汁を食べ、予め預けて於いた荷物を受け取る。 |
| ゼッケンは着替え用を含めて4枚支給されていた(ウルトラならでは)ので、予めゼッケンを付けたシャツを着替え用に預けておいた。 |
| シャツを着替えようとして初めて脇の下が相当すれていることに気がついた。 |
| ワセリンを塗り直し、着替えを終え、おにぎりを一個食べる。おにぎりを食べ終わる頃には再び走る意欲が湧いてきていた。 |
| 結局多里には10分程度いただろうか。ここは第二の関門でもあったが、制限時間まで1時間あまり残してエイドを後にした。 |
| 延々と続くきつい上り |
| 再出発直後は息を吹き返したかのように快調な走りができた。相当登っていたがなんとか走って登っていけた。俺ってすごいじゃん!と思っていたが |
| そんなに長く続かなかった。とても走っては上れないほど急でしかも延々と続く長〜い坂道が待っていた。これは歩くしかない。 |
| この壁のような坂道が再び僕の体をおかしくしてしまった。歩く速度が急激に落ちてきた。 |
| もちろん周囲にも走っているランナーは一人も居ない。みんな歩いているのだが次々と抜かされた。左足が思うように動かない。 |
| 時々屈伸をしながら前に進むが、いっこうに進んだ気がしない。登り切ったら逆に急な下りがまっているが、この足だと下りでも走れないかもしれない。 |
| 登り切ったあたりでちょうど70km。あと30km。まだまだ遠く感じる。60km〜70kmの5kmにはなんと1時間8分以上かかった。 |
| 70kmを過ぎ、下りになった直後は左脚が思うように動かず、膝も痛くて思うように走ることができなかった。次の関門が少し気になる。 |
| ひたすらゴールを目指して |
| 78.5kmの関門を40分程度の余裕をもって通過。残り20kmあまり。ここまできてやっとゴールの姿がうっすらではあるが見えてきた。 |
| ここまできたら制限時間内にゴールしたい。いままでは完走より自分の力を出し切る気持ちが強かったが、初めてゴールに対する欲求が出てきた。 |
| 80kmを過ぎ調子が出てきた。20km地点で既に絶望的な感じさえ覚えていたのに、ここまできてまだまだ走れている自分に驚きを感じた。 |
| 90km地点の関門を過ぎた辺りで、ゴール地点の制限タイムに2時間の余裕があった。 |
| 1時間に5kmでも大丈夫な計算である。最後にもう一つ峠が待っているがゴールはできると確信した。多里でリタイアせずに本当にによかった。 |
| 90kmのエイドで偶然宿で一緒だった人と出会い、もう一人加えた3人でいろいろと話しをしながら併走した。 |
| 初めて会う人と話しをしながら走るなんてウルトラ以外ではちょっと考えられない。 |
| 初めてのウルトラ挑戦にしては上手に走っていると褒められた。そうウルトラマラソンは速く走る競技ではなく上手に走る競技なのだ。 |
| そしてゴール!! |
| そして最後の峠を迎えた。がんばれば13時間台がまだ狙える時間だった。最後の力を振り絞り、37kmに参加した昨年でさえ歩くことしかできなかった |
| 峠のほとんどを走って登ることができた。そしてラスト500mは今日一番ではないかと自分で思うくらいの快走だ。 |
| ここまでは、誘導員や沿道の皆さんの声援に「ありがとう!」「どーも!」等と応えていたのだが、ゴール直前の誘導員の方の声援に応えることが |
| できなかった。汗と一緒に熱い物が頬を伝い声にならなかったためだ。 |
| そして最後はガッツポーズでのゴール!! |
| タイムは13時間56分31秒だった。本当に長かったけど、よく頑張ったと思う。 |
| 来年も!? |
| 20km地点で既に疲労感を感じ、残された距離に圧倒されそうになったり、厳しい山道では幾度もリタイアしそうになる自分との戦いがあった。 |
| でも、後悔だけはしたくなかったし、こんなつらい思いは一度でたくさんだから、今回ぜったい完走しなければ、と思って走っていた。 |
| 本当につらく厳しいマラソンだった。それだけに、完走できた時は本当に嬉しかったし、感動も大きいものだった。 |
| こんな感動をもたらしてくれた大会関係者や沿道の応援、一緒に走ったランナーのみんなに感謝感謝である。 |
| しかし、こんなマラソンもうたくさんだというのが走った直後の正直な心境。 |
| でも、大会をふり返ってみると、つらい経験はいい思い出となり、ゴールシーンの写真を見ると感動がよみがえり心がふるえてしまう。 |
| 大会からちょうど一週間が過ぎた今、次はどのウルトラマラソン大会を走るかワクワクしながら考えを巡らせている自分がいる。 |
| ウルトラマラソンにはまってしまったかもしれない。来年のにちなんはもちろん、秋にもひとつ走りたいと思っている。 |
作成・2003年6月28日 更新・2003年6月29日