干しイチジクの話



干しイチジク

白トウガキをうむし小屋へ、練炭と硫黄をいれる。
晩に火をつけて入れると朝には燃えてしもうとる。
7〜8段にしてうむす
(次の日から)毎日天日で干す。
晩は重ねて夜はしもうて、朝また干す。
最初はちょっともんで、硬うなるほどよぅもんで。
11月で寒うなってくりゃあ(白い糖ぶんが)つきょうた。


談・2005.2.27




赤トーガキも白トーガキも同時に採れる。
白トーガキは西浜(ようすな)の人が買いに来て生食ように売っとったが、2〜3年で止めた。
朝は赤を採り、晩に白を採る。

ほぼろから、はねうつして、まっすぐに並べなおして燻蒸(うむす)。

銅山や西ノ谷の人が多かった。

蒸し方、干し方は研究しょうた。それで統一するようにしようた。

美味いもんじゃあなかったが、珍しいんで(いつ時でも、少量)買う人はいた。

(廃止まで)作る家じゃったけえ作ってきたが、そんなにええ相場の年はなかった。
止めたときはほっとした。

うむし小屋は1軒に一つあったが、要らんようになったらみなころがした。邪魔になるだけ。
今ぁ残ってるもんはなかろう。

白トーガキ畑は赤トーガキ畑に変わっていった。


(母)

嫁にはじめて来たとき、(昭和17年)5月じゃったが倉庫にまだ干しイチジクが残とった。
食べてみたら美味かった。あの味はわすれられん。
あの時分には、ほんまにおいしかった。一つ食べても値打ちがあるようじゃった。

練炭がなかなか火が付かん。消し炭をちょっと入れ、堅炭(かたずみ)を起こす。
堅炭を起こしてから練炭を燃やしょうた。
練炭は途中で消したらいけんので、(消えない程度に)火が付くのを確認して(うむし小屋に)入りょうた。

(イチジクは毎日採れるので)毎日そうしょうた。
外へ干して雨が降りそうなら、長屋のよくちに棚をして、そこへ仕舞ようた。
毎晩長屋の前にしまう、そうせんと雨が心配で寝らりゃあへん。
ビニールができたら(段積して)外に置くようになった。

(雨は)カビがくる。
カビがきたら捨てたりしょうた。
燻蒸したのを日に何回も裏返しょうた。
天日で干して、日に二度(にへん)はなんでもしょうた。
場所も変えんと、ええように干んのじゃ。
力がいりょうた。
今頃なら扇風機で乾燥しょうたろう。

一週間ほど日和なら(次の工程の)もむのを始みょうた。

箱へ入れて保管しとると、真っ白い粉がつく。ええ粉が付くんじゃ。

正月ごろから2月3月まで出荷しょうた。

(茂平の出荷所で)りょうやんの奥さんやこ4〜5人で(選別等級)分けて、箱詰めしょうた。その頃がさかりじゃった。

いつの頃から贅沢になってきて食べんようになった。(売れなくなった)美味うないゆうて。
ひとりでに「硫黄が危ない」ゆう声もしだして止めた。

あれがのうなったら、ほんまにくつろいだようじゃった。

ウチにゃ白を植えとったんで作りょうたが
赤トーガキの方が昔から相場で売りょうた。
赤はむしって、出荷するだけで金になる。


そのころ、日本の産業構造も、生活も大変動が始まっていた。



父と母の話    2005.5.22









作成・2017年4月21日