水落(みぞおち)の段々畑

家から山を越える道、または干潮時に磯の道を歩いて30分位、水落に段々畑を耕していた。

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おばの話・談・2017.2.9



(水落の畑に)行きしなにゃあ山をとおて、
帰りは海をとおて戻りょうた。

(水落の畑には)麦を植えて
麦を刈った後にゃあ芋を植ようた。

(水落の畑は、山の)上から下まであった。
波があるところまで畑じゃった。

麦を刈った後、株のあいだに(芋の)苗をうようた。株はうがさんで、そのままにしょうた。

ゲシにはお茶を植えとった。
お茶は買わずに、そのお茶を飲みょうた。(買えば)お金がいるけぇ。

麦を刈った後は、畑にひろげていて
実だけを唐人袋にいれて、船で持って帰りょうた。


船は、こめい(手漕ぎの)船じゃった。
こもうて一軒でいっこ(ひと船)じゃった。




茂平水落の畑 談・2003.5.185


(父の話)
茂平と国繁の間に水落の段々畑が広がっ
ていた。
その畑は細い道をへいどら(ヘードラ)を天秤棒で担ぎながら登った。
集荷時(芋や除虫菊)は海辺に下り、農船で運搬して家に持って帰っていた。


(母の話)

水尻の東側の海辺
満潮の時も、通れる道がついとった。

歩いて急の(上り)の道じゃった。毎日行きょうた。

麦や芋や薄荷を植えとった。
三反あった。

おひちに茶碗や箸や茶をいれて・・、大荷物じゃった。みな持っていきょうた。

かんちゃん、ゆきのりさん、やっさん、やとう、
こうきちゃん方、中や、端や、あきらさん方、にいや、道を通って。(細いが)にぎやかな道じゃった。

船に積んで、港に揚げて、車(タイヤ付きの大八車)に乗せて、そうやってもって帰りょうた。

薩摩芋でもええのが出きょうたから売りょうた。年末には芋と米を少し売って金(カネ)にしょうた。
そうでもせんとカネが入るもんはなかった。




水落のアサリ

(子供の頃、畑仕事を終えて帰る時、母は「ちょっと持っといてくれ」と言って10分程度、鍬で砂浜を掘った。ほぼろの1/3くらいアサリが入っていた)

母・誰も掘らんところじゃけ、掘ればなんぼでもおった。石を動かしでもしたら群れとった。

※単純な理由だが、アサリ堀の極意ともいえる。

2004.5.30



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作成・2017年4月21日