福武の葬儀


このページは2005年8月23日 午後8:00ころ元館主の話。

岡山市の映画館・福武の葬儀の話は過去に5〜6度聞いたことがある。元館主が映画関係者として経験した「最大の事件」であったのだろう。
この日もこの盛大な模様を元館主は話した。




 ありゃあ池田勇人が首相しょうる時分じゃった。



 パトカーが先導して国道2号線を一方に通行にした。
パトカーのあとには車がいっぱいつづいて行った。

そうやって遺体を厚生町から東山まで運んだ。




葬式は国体があったとこ、今はのうなったけど県の体育館でした。

葬儀委員長は下電の永山で、副委員長が藤井勝志と加藤武徳じゃった。



正面から祭壇まで真っ赤なしんぴんの絨毯をしいとった。(普段は土足の場所)
その上を歩くんじゃ。


正面に大きな生花が二つ左右にあり、山口組三代目の田岡と県知事の三木行治の名じゃった。

池田勇人の生花もあったが、そりゃ二階に置いとった。



会場の右半分はコレじゃった。(顔の頬をひとさし指でなぜた)
親分衆は北海道から九州までの人がきとった。

なんじゃゆうて、会場の入り口じゃあ仁義を切りょうるのがようけいおった。

その頃のヤクザはまだ仁義があった。今はありゃあせん、わやくそじゃ。





ぼうさんのこと
左はんぶんが映画関係者じゃった。
東映の大川ゆう社長もきとった。大川博じゃ。

片岡千恵蔵や市川歌右衛門もきとった。
















金浦座ものがたり



作成・2005年8月25日