軍の荷物を
玉野では造船所の船と、船に食糧・衣類ごと満載して持って帰る元・軍人もいた。
ちょうど 金浦(の出身の)軍曹の人がいた。
「高田君、帰るんなら車を使え。」といわれ
車に積んだ。 菓子のふくろの中に食パンみたいなもんがあり、それや、米も一瓢積んで帰って来た。
家に帰ってみたら(百姓なのに)米も無かった。
2000・9・10
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旧軍物資
「旧軍物資は膨大な数量に達していた。冬衣422万着、夏衣377万着、その他、軍靴、食料など。
正規なルートで放出されたのはその一部で、大部分は横流しされ、ヤミ市へ回った。」
研秀「昭和史」より
父の話
軍隊には帳簿上処分されたことになっている(簿外の)品物が多くあり、持ち帰れないので
賀山の兄貴と岩倉の兄貴にも声をかけたら自転車に乗って取りに来た。
軍靴・服を出してやったらみな持って帰った、よろこんで毛布・コートなども持って帰った。軍隊の生地はよかった。自転車に積めるだけ積んで。
ぶら下げて。(その格好が面白かったのか、笑いながら)
軍の物は焼けた事になっていた。
あの時分は何んも無かったんじゃけいのう。