労研饅頭(ろうけんまんとう)
戦前戦後、愛された食料品「ろうまん」。
以下、「倉敷市史6・資料編」より転記する。
労研饅頭(ろうけんまんとう)倉敷市史6
大原孫三郎が労働理想主義を具体化するため「倉敷労働科学研究所」を設立した。
大正14年、集団栄養を取り上げ、紡績労働者の所要カロリー決定による給食炊事の献立改善に寄与した。労研饅頭の開発もこの研究の産物であった。
労研饅頭は主食代用品としての栄養価値がきわめて高く、日本人に親しみのある一種の「蒸しパン」で蛋白質・脂質・含水炭素が高かった。
昭和6年、
時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)の一環として労研饅頭普及運動が始まった。
食糧問題解決の国家事業として指定組合を通じて行われた。
昭和11年時の指定組合員は、北海道から九州まで24市2郡3町に及んでいた。
岡山県内では倉敷市・岡山市・津山市・林野町・和気郡・笠岡町に指定組合員がいた。
倉敷市で開発された労研饅頭(ろうまん)は、愛媛県松山市でも普及し今日まで製造販売を続けている。
2016年06月29日 | 昭和元年〜10年