労研マントウ


父や母が食べていたローマン(労研マントウ)は名の通り、労働研究から生まれた。

以下転記する。
岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社





ローマンと倉敷労働科学研究所

1931年(昭和6年)、労研マントウ、略してローマンの名で売り出された蒸しパンが人気を呼んだ。
これは倉敷労働研究所が中国人が常食するマントウを改良考案した代用主食だった。
1930年製法と栄養価を「労働科学研究」に発表した。その一方で、全国40の業者を指定、指導して製造販売を許可した。
1935年ローマンの指定業者は80人となった。

倉敷労研は1921年(大正10)倉敷紡績社長大原孫三郎が万寿工場内に創設した。
深夜の紡績工場の騒音と塵埃の中で働く12〜15才の少女らを見せて、彼女らの労働条件改善の基礎研究を依頼した。
労働生理、心理、体質、衛生、栄養の労働現場での多様な調査研究を行った。
ローマンは研究の産物だった。










2017年06月26日 | 昭和元年〜10年