たばこを売ってあるく


満州国が消滅後、残された日本人は「殺される」恐怖とともに、食べていくことの難儀が諸本に記されている。


夜は葉巻を巻いて、昼は市場へタバコを売りにあるきょうた。
満人が買うてくりょうた。


日本人会というのが出来て、夫はそこで事務をしょうた。使うてもらようた。ソロバンが出きとったので。
多少わずかでも、お米を買うくらいなお金を貰ようた。






農産公社の時、可愛がりょうた満人がナイショで高粱とか小豆を持ってきてくりょうた。
「私、見ラレタラ殺サレル。」言いながら、こっそりと。

それでお父さんが持っとった軍刀をその人にやったりした。


当時ハルビン日本人国民学校5年 俳優宝田明 1999年 11月28日 毎日新聞

女性と子供は丸刈りになり、日中でも一人で外出することは禁止となった。
しかし白昼、買い物に出かけた近所の奥さんがマンドリンと呼ばれた自動小銃を抱えたソ連兵につかまり、社宅裏の空地で強姦されるのを目の当たりにした。

ソ連兵は夜はもちろん日中も社宅を襲った。時計・ラジオを略奪していった。狙うのは日本人の家だけ。
マンドリン銃をつきつけられれば、ただ出て行くのを待つだけ。

街に出て稼ぐしかなかった。ソ連兵の靴磨きをはじめた。”カピタン・パジャー・ルスタ”(兵隊さん、靴を磨かせて)

ハルビンの町に奥地の開拓団の日本人が引揚げの指示を待ちきれず集団で20〜30人やってきた。「親は飢えをしのぐが、子供は殺すよりは預けたほうがいい。」

・・・ここまで語った宝田は涙につまり「あとは言葉にならなかった。」と記者によって書かれている。

実は彼の一家も後ろ髪を引かれる思いで長女と三男を満州に「置いてきた」のである。二人とも戻っていない。

「ソ連軍が侵攻した夏」より




2002・4・30