日本人は今まで「タイタイ」、大将でおったのが。
そりゃぁみじめなもんで、えいちゃん。
戦争で負けたらもう、社宅へ向かって石は投げるし。
暴動みたいに、だーっと家の中にはいり衣類は取られるし。
2002・4・30
関東軍司令官山田大将以下司令部職員がソ連軍によって連行された9月5日以降、満州と日本を結ぶ無線・電話は通じなくなった。
公的な情報はまったくはいってこなかったのである。「満州国と日本軍」より。
長春では
市内の治安は混乱し、乱れに乱れていった。
ソ連軍の乱暴狼藉は目に余るものとなった。赤旗や晴天白日旗をかざした一部中国人(満州人)も反日行動をあらわにしだした。彼らは争うようにして日本を襲った。
殺人・婦女強姦・略奪・暴行はひんぴんとして行われだした。
軟禁同様の関東軍はもう無力の存在である。
軍人民間人を問わずもはや日本人は丸裸の自然状態に放りだされた。
「ソ連軍が侵攻した夏」
ソ連は満州各地の工場などから機械その他を押収してシベリアへ運びはじめる。
中国をはじめ連合国はびっくりして抗議した。
捕虜のシベリア行きも大問題となった。
戦闘停止後の武装解除となった将兵は国際法上”捕虜”ではなかった。
ソ連「日本との停戦協定はない。」
「ソ連軍が侵攻した夏」
2002年5月2日