梵鐘はなくなった


芳井町から梵鐘はなくなった

金属回収令では、銅像や梵鐘が記録写真でよく見るが
芳井町では梵鐘がひとつ残らず供出された。

他市町村の鐘はどうだったんだろう?

そしていまある鐘は、すべて戦後に造られたものだろうか。

以下、
芳井町史より




昭和17年11月1日正午、その二日前までに町役場倉庫に供出された。
直島で精錬される予定で、代金は町村あてになっていた。この供出で町内寺院のすべての梵鐘が供出された。






昭和19年からは貴金属



金属類回収令は昭和16年から20年まで「すべてを戦争に」のスローガンのもと、改訂しながら工場や家庭から「不要不急」とみなされる物件すべてが回収された。
寺の鐘、学校の銅像、家庭の鍋や鎌、生徒児童の金ボタンや文鎮などが知られている。
昭和19年からは貴金属の白金、つづいて銀の回収も始まり、「強制買上げ、または強制借上げ措置を講じられるべき」となだめ・脅されている。(参考・岡山県史)



2014年12月10日 | 昭和16年~19年







2015年11月24日 | 昭和16年~19年