昭和14年の干ばつ


昭和14年の旱魃は備中日照りでも特筆されるほどの被害であったが、この年を含む前後年、父は兵役中であり
母はまだ結婚していなかった。

以下・昭和52年東谷公民館新築記念「ふる里のあゆみ」(福山市大門町)より。



田植えの際はかなり池水の貯水もあった。
田植えの完了後に降雨無く、肥料は施肥なりしも出穂せず。
野々浜、河口池掛及びその他少々の収獲を得たり。そのほかは皆旱害を被り、全村において91町歩の免祖地を出せり。
故に全村にて食料を一か年間完全に食する家、僅かに数戸なり。

対策として土木事業等、即ち池の修繕にて就労する。
日給 男一人1円20銭〜1円30銭
    女一人80銭〜90銭なり

野々浜森池もこの年新たに築造されしと聞く。









2015年08月25日 | 昭和11年〜15年