第三国の援助無くしては出来なかったであろう、揚子江岸の防備を見た。
英租界、前には支邦軍の陣地、その前に銃岸じつにものものししい。
前は陣地、その後ろは英国の国旗がひるがえっている。
攻撃しても、攻撃できない。
食糧は外国からの援助、防護は指導があったものかもしれない、混ざっていたかもしれない。
それでも我皇軍の前には落城か!
蒋介石の直系軍の遁走。
漢都とはいえ見よ皇軍の蹂躙の跡、支邦人家の惨状も格別なり。
家・屋根・壁、集落焼け落ち、ただ残るのはレンガ、焼け石ばかり。
その間、我が軍が警備・復活を見つめている。
外国の国旗は判然とひるがえっている。
我砲撃の、爆撃の成果だ。
陸戦隊の警備、陸軍の警備。
その中央には軽気球が上棟高く北風に吹かれている。
海上の警備艇、我軍艦が江上をにらみ海上をはしりまわっている。
ああ、我皇軍の揚子江は如何。
1938/12/3
2001年8月15日
【談・2001年8月15日】
(敵陣地は)租界地を利用して攻撃できんように、ええようにできとった。
蒋介石軍は、火をつけてにげるんじゃけぃ、ぼっこう燃ようた。