戦時下の教育



各町村の資料から転記


(真備町史より)
昭和7年3月満洲国建国宣言、5月犬養首相が暗殺。翌8年3月国際連盟脱退。世界の日本は目まぐるしく動いた。

昭和6年五月「岡山県教育指導奨励要領」が発令され、少し抜き出してみよう。


1・国体観念の明徴
2・勤労教育の重視
3・経済的訓練の徹底
など。

昭和7年文部省は全国小学校に昼食を欠く児童が約20万人と発表、昭和15年には学校給食奨励規定を公布して児童の体位向上につとめることになった。
実習補習学校は青年学校となり、日華事変が起こると国民精神総動員運動となり、神社に祈願参拝、出征将兵に慰問袋の発送、勤労奉仕、金属製品の回収。

昭和15年には紀元2.600年記念式典。

昭和16年4月国民学校発足、義務教育を19年から8年制と言ったがこれは戦争のため実施できなかった。
14年より青年学校義務制。

昭和15年から、教員の俸給負担が市町村から県に移った。
太平洋戦争突入から学校では先生も生徒も、挙国一致、一億一心、尽忠報国などを合言葉の如く国策に沿っていた。






2015年07月22日 | 昭和16年〜19年