夏休みの初め頃、山にいって竹を取ってくる。晩屋にいって10円だせば立派な七夕セットを売っていた。障子紙を切ってそしててでまくようにしてシオりをつくる。
なすびやスイカの絵はささにシオリでとめる。白い紙には筆でなにか書いてからシオリで留めていた。それだけのことだが七夕を作るのは楽しかった。
旧・七日の朝早く、子供達の声と笹が家の上の道に見える。西の谷の子が海に行っているのだ。
そしてわれわれ兄弟も七夕の竹をくくっていたのをほどき、海までひこづっていく。
茂平の水門の前にはたくさんの七夕が流されていた。
茂平の海がなくなる頃までつづいたのだろうか?
2000年06月14日
七夕は水門のところまで持っていって捨てていた。昔からじゃ。
2000・6・10
ということで、茂平の七夕は割と長くつづいていたようだ。
(姉の話 2017.1.30)
七夕
竹をどっからかとってきて、それをこよりをくくって飾りょうた。
(夏休みの旧暦の7月7日に)海へ流しょうた。
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母の話・2001.1.1
(母の実家の)
賀山の(深い)井戸
七夕が来れば井戸掃除をする。
きょうていけど、(おじいさんが)降りょうた。
縄をつとうて、
底をこさげて深うしょうた。
それから歳をとって「もう出来ん」言い出した。
その頃水道が普及しだした。
七夕はどの家にも掃除をしょうた。
共同井戸もそうしょうた。
この方でも尾越の井戸をみんなでしょうた。
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