私の小学生時代には、父の兄弟(4人兄弟)とその子供(私の従兄弟)、祖母(=祖父は養子)とその妹2人が集まるのがパターンであった。
井原市の母の実家では母の兄弟(5人)全員とその子供が集まっていた。
昔は庭に棚を作って、終戦後じゃが、まつりょうた。晩に火をつきょうた。
2000・6・10
盆踊り
そこの観音さまで。
(番屋の隣り、小学校とかでなく)踊るのは観音様のとこ。
盆は死んだもんの祭りじゃけぃ、あそこで太鼓を叩いて踊りょうた。
皆来て踊りょうた。
今頃はなんと、踊らんようになった。
若いもんが中心になってしょうたんが、せぃがせんようになった。
じゃけい年よりもせんようになった。
子供のころから、あそこでやりょうた。せにゃあいけんのじゃ。ああゆうことを。
のうなってしまう。
(残念そうであった)
2001年10月7日
観音堂の盆踊り
観音堂は茂平中で建てた、ほれで毎年あそこで茂平の盆踊りをしょうた。
昔は若いもんも年寄りもみんなしょうた。
青年団がやる、婦人会がやる、年よりがやる。
店屋も来ようた。
リンク→「観音堂の観音さま」
2002年6月24日
作者記・観音堂の盆踊りは昭和33年ごろまでつづいていた。
(姉の話 2017.1.3)
お盆
灯篭を縁側に吊り下ぎょうた。
水棚を建て、
洗濯の棒にナスビやこをひっかきょうた。
おじいいちゃん(祖父)が
「あそこへ先祖さまが墓から帰ってくる」ようた。
幽霊が帰ってくる思ようた。
ナスや提灯目指して帰ってくるんかなあ思ようた。