物々交換

 


終戦直後の頃


2001年10月7日

闇市

ようすなやこから
船で来て、
魚を出して、芋をくれ、麦をくれ、あるもんをくれ。
(金でなく)ぶつぶつ交換して帰りょうた。


物々交換

着るものが無い時分は町から売りにきょうた。
芋をやったり、麦をやったりして替えことをしょうた。






 

「金光町史・物々交換」より転記する。

 

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竹の皮と飴

八重の人の話。

大正の頃、竹の皮を買いに来る人があった。

竹藪へ行って竹の皮を拾い集めていた。

福山から買いに来る人がいて買ってくれた。現金取引でなくお多福の絵が断面にでる、珍しい飴だった。

地頭下の人の話。

竹の皮10枚でぎょうせん飴5個との交換で大正10年頃まで来ていた。大きな竹藪のあるうちを目当てに回ってきたようである。

 

イリコと米

寄島の造り酒屋が大八車を引いて米を買いにきていた。

イリコ1袋と米何升といって交換していた。

 

山繭と米

山に行って槇の木に付いている黄色な山繭を集めておくと、山繭一個に対して飴三個と交換してくれた。

 

煎餅(せんべい)と米

金光駅前に煎餅を焼く店があり米と交換していた。

 

うどんと小麦

鴨方で製造するうどんと小麦を交換していた。交換比率は店の方で決めていた。

 

小麦粉と小麦の交換

小麦を収穫すると粉屋へ持参し、加工してもらっていた。

また、小麦と粉の交換をすることもあった。交換比率は73ぐらいであった。

 

白下とサトウキビ

終戦後の砂糖不足のころ、収穫したサトウキビを金光駅前にあった加工場に持っていくと、重量を計り、一定量の白下をもらっていた。

 

卵と日用品

卵を貯めて、行商が持ってくる品物と交換していた。

 

 




茂平の食べ物


20170124 | 暮らし