炬燵(こたつ)


電器こたつがと、こたつの中間に一時期豆炭あんかのじだいがあった。作者の高校時代が分岐点くらい。電器こたつがでるまでは炬燵・豆炭とも時分で準備していた。(昭和40頃まで)



こたつは風呂の火をつかようた。

マメタンもそうじゃ。風呂でおこしょうた。


ひばち (母の話)


ひばちは温もるだけじゃあなしにコテにもつかようた。アイロンが無い時分。

火熨斗(ひのし)、
ひのしゆうて杓のようになっとるもん。
こねいだまで裏にころぎょうた。

コテの変わりになりょうた。
おばあさんがつかようた。

それの後で、コテになった。

餅も焼きょうた。

カタズミをちいといりょうた。


為乗でカタズミは買ようた。


風呂の火と、消し炭をつかようたが、消し炭はすぐおきるが、すぐ消える。
カタズミを入れときゃあもちがよかった。

カタズミをいれるエエ炭籠もあったんじゃがしてた。
常会の時やこつかようた。もつだけでのうて温かった。

(陶器の火鉢と金属のがあるが?)

あれがエエゆうておじいさんが仕舞せんのじゃ。

まだ上座に置いとる。
高かったんじゃ。

”かなすね”ようたんもあった。あれは特別高い。

二階にも他のが、まだある。焼き物のはいらんようになったんで捨てたが。

かざりじゃゆうて仕舞わせん。



2000・12・17




茂平の生活