テレビ 
作者記・2001年9月13日

TVがはいったのは、昭和37年。

もちろん白黒でTVチャンネルはNHK・山陽・西日本の3局が受信できていた。

翌昭和38年頃は、茂平のTV世帯数はほぼ100%。従って昭和39年の東京五輪は都市部では、はやカラーTVが普及しだしていた。
昭和39年は僕が笠岡高校1年だが、笠岡では電気店を含めカラーTVは見たことがない。


電話

電話は昭和44年ごろ、農村集団電話が普及した。普通の電話と一見同じであるので突然茂平は電話が家庭に普及した。

六世帯で一回戦くらいだったので中学生程度の子女がいる家庭では話ッぱなしのケースが発生した。残りの家はその間発信も受信もできず。
経済も生活も大激変(急成長)していた時代なので一挙に個人電話にシフトしていった。


新・三種の神器3C(クーラー・車・カラーTV)

クーラー
茂平の実家にクーラーが設置された期日は知らない。茂平に限らないが田舎の母屋にはクーラーはいらない。せいぜい扇風機で充分。



兄が東京から福山に転勤して帰ってきた。その時ホンダの軽4を購入して通勤した。それが最初、昭和45年。


カラーTV

僕が大学の時代まだ白黒だった。多分卒業してまもなくだろう。昭和46・47年ごろのはずだ。もうカラーTVが常識だった。


作成・2001年9月13日