うむし小屋


”干いちじく”は昭和30年代まで茂平の代名詞であった。
農家の母屋から近くなく遠くない場所に「うむし子屋」があった。


白とうがきは生でたびょうた。
エエことがないんで(いつも安く金にならない)、昔から乾燥もしょうた。


「うむし子屋」は実家の場合門の前、母屋から20mほど離れていた。
あれはいつ頃できたのか?


ホシイチジクにするために作った。
古い。戦前。



ウチにゃ作るのが(ホシイチジクを始めたのが)早いほうじゃった。

じゃけい(近所のを)まとめて神戸に売りょうた。ナンボか口銭をもらようた。

大門駅か、時にゃぁ里庄まで(ホシイチジクを出荷で)もっていきょうた。

2002年4月6日