五右衛門風呂 作者記


大≠フ為乗(ためのり)のおじさんは、リヤカーに五右衛門風呂を積んで茂平にも運んでいた。

為乗のおじさんは一人でリヤカーを引いて用之江から茂平への坂道を上がっていた。(昭和30年代前半)


昭和30年代までは風呂。イコール五右衛門風呂であった。

背中が風呂に当たると”アチッ”。木製の底板が浮いて足を風呂で踏んで”アチィ”の風呂だった。


風呂焚きは子供の手伝いだった。

松葉で火をおこし、くべきをいれる。とにかくいきおいよく長時間燃やすだけの単純作業。

冬はその火で炬燵をつくり、上に墨をのせていた。その上に灰を。そして布団をはぐり炬燵の中に入れていた。


風呂への水入れは。これも子供の手伝いだった。

井戸からバケツに水を入れ、それを風呂まで何回も運んでいた。

手漕きのポンプが出来て、こんどはポンプで風呂水を入れていた。
ポンプとはいえ手漕ぎで風呂水を満杯にするのは結構しんどかった。


2001年9月13日