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21回 山口100萩往還マラニック大会

               B140Km 完踏記

                     B253 村田克浩


■うんちく  〜公式ホームページより〜

萩往還」とは、慶長9年(1604)毛利輝元が萩城築城後に山陰と山陽を結ぶ参勤交代道として開いた道です。城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ全長約53kmのこの街道は、庶民にとっても重要な交通路となり、また幕末には維新の志士達が江戸や京へと往来し歴史的にも重要な役割を果たしました。
かつての道沿いには、藩主一行の宿泊所や休憩所となった御茶屋や駕籠建場など様々な施設が置かれ、また一里塚・往還松のような旅人のための道標も設けられており、今でもその面影を一部にとどめています。
こうして重要な交通路として明治中頃まで300年にわたり栄えていた萩往還ですが、山越えの険しい道であるが故いつしか姿を消してゆき、一部は廃道となっていました。
しかし、この貴重な古道や史跡を後世へ伝えようと、昭和56年から63年にかけ沿線の市町村が中心となって保存整備を行い、歴史の道「萩往還」として復元されました。
平成元年には国の史跡に指定、さらに平成8年には文化庁から「歴史の道百選」に選定されました。

 

因みに、大会名にある「100」とは、“明治維新100年事業で調査発掘された歴史の道”という意味であり、距離を表しているものではない。

実際、100kmという部門はなく、マラニックの部として、A250kmB140kmC70kmD35kmの4部門があるのに加え、歩け歩けの部がF35kmと、全部で5部門であり100kmは設定されていない。


■前日まで

萩往還マラニックは、ウルトラランナーなら誰しも耳にし、いつかは完踏(萩往還では完走のことを完踏と呼ぶ)を夢見る大会であり、今回は2番目に長い140kmに挑戦した。

(数年前からルールが変わり、まず140kmを経験しないと250kmには出られないことになったので、250kmには出ようにも出られなかった。もちろんそのルールがなくても出る勇気は無かったが

僕にとっては100kmを越える距離は初挑戦であり、しかも夕方スタートなので地図を見ながらの徹夜ランとなるなど、初めてのことだらけでワクワク・ドキドキでこの日を迎えた。

140kmの部は5/318:00スタートだが、自らのモチベーションを上げるためにも、その24時間前に予定されている最長250kmの部のスタートを見たいと思い、5/2に山口入りした。瑠璃光寺で受付を済ませ、距離にあやかり\140のお賽銭をし、完踏を祈願。その後、その夜泊まるホテルにチェックインした後、再び瑠璃光寺へ。

17:30頃には多くのランナーがスタート前にならび、その時を待っていた。ウエアやリュック等の持ち物をチェックしたが自分の考えている準備と余り変わらないようだ。

一度にスタートすると道いっぱいに広がるため、50人ずつ約2分間隔のウェーブスタートとなる。そして18:00、「エイ・エイ・オー」の合図で第1ウェーブがスタートした。続いて第2、第3と、ギャラリーの声援の中スタートしていった。長い旅の開始だ。今の僕には想像できないが...

自分はその夜、山口市内のホテルで250kmランナーのことを思い浮かべながら翌日の準備をし、温泉につかり、ビール飲みながらゆっくりとその日を待った。翌朝できるだけ遅くまで寝るためAM1:00頃就寝。

 

■当日

ついにその日を迎えた。夜通し走るためできるだけゆっくり遅くまで寝ようと思ったが、AM8:00には起き、朝風呂に入り朝食を食べた。リュックやウエアの再確認をし、その後何もすることが無いので10:30にはチェックアウト。県庁に駐車した後、スタート会場の瑠璃光寺周辺を散策。スーパーで昼食の買い物をし、最初の荷物置場である山口福祉センターに荷物を預け、説明会のある山口県教育会館へ。ここで15:00の説明会まで昼食を食べながら2時間休憩。仮眠しようと思ったが眠れなかった。

1時間の説明会では、いろいろと“脅された”。主な主旨は以下の通り。

・夜を徹して長時間体を動かし続け、道も険しいので、想像以上に厳しい大会とのこと。

100km7時間台の記録を持ちながら21時間近くかかった人のナマの話を聞いた。

少し驚き、そして相当な厳しさを覚悟した。

 ・エイドは十分でなく(道を間違えるとエイドを通り過ぎる危険もあり)、また往還道にはコンビニや自販機も無いため、食料や飲料はある程度持っていくこと。

・夜の往還道は真っ暗でありライトは命綱。予備の電池や故障リスクも踏まえ2つあると良い。

・人によっては、胃をやられ腹が減っても受け付けなくなる(前述の21時間かかった方の経験談)。自分に合った胃薬を携帯すると良い。

・何か事故があると次回の開催が無くなる。信号を守り、歩道を進む等、走行には十分気を付けること(警察からも厳重に注意されているとのこと)。

 

要は全て自己責任ということだが、見方を変えれば工夫次第でリスクは軽減すると言うこと。上記注意事項の中で、自分は過去100km大会を10以上完走しているが、胃をやられた経験は1回も無いため、胃薬は不要と判断した。主な携帯品は下記の通り。

 ・パワーバー・パワージェル

 ・アミノバイタル

 ・その他サプリ(鉄・ソルト)

 ・痛み止め

 ・消炎スプレー(クール・イン・フィット)

 ・ペットボトル(500mL

 ・ライト(ヘッドライトと手持ちタイプ)

 ・予備の電池

 ・デジタルカメラ

 ・お金(約8千円ほど、何があるかわからない)

   ※250km選手の中には約40kmもコースアウトし、本部からタクシーで帰るよう指示された人もいたらしい。事実どうしたかは不明。走ってコースにもどったかも。

 ・テーピング(後々これが非常に役に立った)

 ・地図(事前送付の地図をコピーしポイントなどを書き込んだもの)

 ・バンドエイド

 ・ウインドブレーカ(寒さ・雨対策)

 ・チェックポイントカード(これが無いと完踏は認められないとっても大事な物)と食券

 ・携帯電話

 ・テッシュ

 ・ナイロン袋(サプリを飲んだ後等のゴミを入れるため)

 ・マイコップ・チカチカライト(何れも大会側の支給品)



■スタート(瑠璃光寺 18:00)

駐車場に戻り、車中で本番用ウエアに着替え、リュックの準備内容を最終チェックし17:00スタート場所へ移動。ぼちぼちランナーが集まり始めている。

並ぶ前に瑠璃光寺で再び\140のお賽銭。最後は神頼みしかない!?

第2ウェーブくらいがいいかなと思っていたが、第1ウェーブの最後列になった。国宝五重塔をバックにスタート前の記念撮影をし、スタートを待った。

そして18:00「エイ・エイ・オー」の合図でスタート。いよいよ長く苦しい挑戦が始まった。

 



■しゃもじ(13.7km 19:30)

まずは、瑠璃光寺を出た後直進。この道は24時間後に帰ってきた時、ゴールに向かう最後の直進道路となる。その時のことを思い浮かべながら(そもそも帰って来られるのか?)ゆっくりと走る。突き当たりを右折し防府方面に南下。すぐに山口福祉センター前を通過するが、ここは、防府を折り返して帰ってきた時の着替えのエイドになるため、荷物を預ける人も多い。僕は事前に預けておいたためそのまま素通り。道なりに右に曲がり山口駅前を通過。山口駅入口交差点を左折し県道21号をしばらく走り、中国自動車道高架下から国道262号線に入る。ここからが遠かった。最初のエイドであるしゃもじでは食券を使用してうどんが食べられる。復路でも寄るのでどちらで食べても良いが、既にお腹がすいてたまらない。故に、しゃもじが待ち遠しく非常に遠く感じた。やっとの思いでしゃもじエイド到着。食券を出して肉うどんを頂いた。おにぎりもサービスだったので2個入りパックを一つ頂いた。ここまではほぼ想定通りの時間に到着。腹ごしらえも出来たし、よしこれから!っという感じだ。しゃもじまではライトなしでもなんとか走れたが、周囲は既に日が暮れておりここからは無理。ということで、ヘッドライトを頭に装着し、しゃもじを後にした。



■英雲荘(21.5km 20:34)

車道(国道262号線)は鯖山峠のトンネルに入るが、マラニックのコースはしゃもじを出てすぐ右の細い道に入る。いきなり真っ暗だ。まだ最初ということもあるが、峠は比較的簡単に越えられた。峠を抜け防府市街地に向けだらだらと下っていく。佐波地下道で左に折れる。いろんな人の完踏記で間違えやすいとの指摘がある場所だが、係りの人がいてスムーズにクリア。このあたりから英雲荘で折り返した上位の人とすれ違い始めた。ナイスファイト!、頑張ってください!などと互いに声を掛け合いながら英雲荘をめざす。このあたりは信号が多く時々立ち止まらないといけない。事前の説明会でもルールを守るよう再三注意があったため、普段の練習では守らないくせに今日だけは信号を守りながら走った。長崎ちゃんめん前で右折し、しばらく進むと英雲荘に到着。小さな公園のような場所だ。ここは最初のチェックポイント。カードにパンチしてもらい、バナナとスポーツドリンクを頂き、来た道を折り返す。



■しゃもじ(29.3km 21:39)

街なかを抜け、鯖山峠に向かうだらだらとした上りで今回最初の歩きが入った。そろそろ足に疲労感が漂い始める。あと100km以上あるのに大丈夫かな?

トンネル手前までだらだらした上りが続き、トンネル手前を左の旧道にはいり、鯖山峠の本格的な登りに入る。ここで、昨年の野辺山のTシャツを着た人を見つけ話しかけた、昨年120kmリタイアしたのでリベンジを狙っているとのこと。ここまで少し貯金があるとのことだった。このあとしゃもじまでいろいろと話しながら進んだためか、あっという間にしゃもじに到着。

ここでは、行きでうどんを食べているため水分補給だけ。



■山口福祉センター(41.7km 23:04)

しゃもじから山口福祉センターまでは、そのあとの往還道に備え、あまり体力を消耗しないよう、ゆっくりだが一定のペースで確実に進むことを心がけ、ひとりたんたんと走った。

そして、最初の着替えポイントである山口福祉センターに到着。ここまでフルの距離を約5時間で走った計算だ。ほぼ狙い通りあるいはそれ以上のペースだ。

お茶を飲みながら、おにぎり2個とみそ汁を頂いた。

ここまではロングスリーブ一枚だけだったが、寒さに備え、アンダーシャツ+少し厚手のロングスリーブシャツ(アムラーシャツ)に着替えた。

そして、ペットボトルに水分を補給し23時22分出発。いよいよこれから往還道に向かう。気持ちが少し高ぶってきた。



■佐々並(56.8km 01:40)

往還道に向かい県道を北上。萩往還を一人で行くのは不安なので、往還道入口まですぐ前を行くランナーのすぐ後ろについて走る。天花橋を渡り一の坂ダム脇を抜ける。だらだらとした上りだ。天花畑で県道は大きく右に曲がるところを直進し、いよいよ往還道入口だ。

萩往還に入るといきなり真っ暗だ。しかも石畳で勾配もかなりきつい。雨だと相当苦労するだろうと思いながら黙々とでも確実に登って行った。途中県道を2回横切り板堂峠(萩往還最高所、545m)。峠を過ぎると県道に出る。

よくは覚えていないが、このあたりから時折250kmの選手とすれ違うようになった。トップクラスの選手たちだ。ナイスファイト!と声をかけながら走った。

どれほど走ったか定かでないが、しばらく走ると右手に明かりが見えた。草餅エイドだ。深夜にもかかわらず手作りで草餅を作りながら振舞ってくれている。感謝感謝である。お茶を飲みながら草餅をおいしく頂いた。

ここ以降は、途中少し畑の中や山道を通りながらほとんど舗装された公道(国道262号線)を走る感じ。そして佐々並エイドに到着。



■明木市(66.6km 03:20)

佐々並エイドを後にし、しばらく公道と山の中を交互に走る。ここで道を間違えた。場所はよくわからないが、新茶屋を抜け国道へ出る手前の山道で二股に分かれている個所を右へ。しばらく進んだところで前方からヘッドライトが近づいてきた。250kmの選手と思いきや140kmの選手がコースアウトに気付き引き返してきたところだった。ロスは幸い数10mですんだ。帰りにも見たが、まちがえても仕方ないと感じた。次回は看板等の設置を期待したい。国道をしばらく進んだ後右折し一升谷へ入る。一升谷とは、谷を抜ける間に一升の炒豆がなくなるほど長く険しいところからついた名前だそうだ。急な石畳を下っていく。雨が降ってなくとも滑りそうな急坂であり、下りなのにとても走れない。石畳を抜けると路面が土に変わる。少しずつ走り始めるがなかなかペースは上がらない。前を走るチカチカライトが遠のいていく。ふと後ろを振り向くと真っ暗で後続ランナーもいない。なんとか前方のライトが黙認できる範囲でねばりやっとのことで一升谷をクリア。帰りにここを登るのかと思うとぞっとするほどの難所だ。一升谷を抜けてしばらく進み明木市に到着。ベテランらしきランナーと話をし、丁度全体の半分のポイントであることを知った。ここまでで約9時間20分。倍で走れば20時間を切って余裕のゴールだが・・・距離は半分でも時間はまだ半分まで来ていないのは明らかだ。




■道の駅「萩往還公園」(70.3km 03:55)

明木を出てしばらく前を行くランナー3人組について歩いた。その前にはだれもいなかったからだ。200mほど歩いて、やっと前のランナーが走り始めたのでそれについて走った。公道と萩往還を交互に走りながら前に進む。道の駅手前、萩往還の急な下りで250km出場の女性ランナーとすれ違う。“頑張って”と声をかけると、逆に激励され、“ゴールはもうすぐそこですから”と笑顔で坂を登って行った。まだだいぶあるけど..200km以上走ると30kmも“すぐそこ”になってしまう。元気をもらった感じがした。山道を下りきると道の駅。エイドは開いておらずそのまま通過。



■萩城跡・石彫公園(77.9km 05:10)

ここで再びコースミス。道の駅を過ぎてすぐ右に降りる感じで曲がらなければならないのに、気付かずにそのまま有料道路を直進。一緒にコースミスした人が4〜5人。何れも初挑戦のひとばかりのようで途中の分岐点で地図を見ながらどっちに行くべきか相談中のところへ、後ろからベテランランナーの「こっちですよ!」の声に救われた。しばらく走り萩市内に入る跨線橋の手前で白線を発見し正しいコースに戻った。距離にほとんど差はなくロスはあまりないようだ。先ほどのベテランランナーもそれを知っててわざと直進したのかもしれない。跨線橋を渡ってすぐ左折、萩駅・玉江駅を通って、萩城跡・石彫公園を目指すが、跨線橋から石彫公園までの5km弱はめちゃくちゃ遠く感じた。

歩くような感じでやっと石彫公園へ到着。自ら2個目のチェックポイントのパンチをし、預けていた荷物を受け取りしばし休憩。

早すぎて(ちょっと自慢!)エイドに食物がついておらずまだ何もなかったが、荷物の中にパンを入れていたのでそれを食べて少し元気が出てきた。少し前から腰のあたりが擦れているのが気になっていた。リュックの腰のあたりに収納があり、デジカメやサプリを入れているのだが、長時間の走りでここが擦れたらしい。持ってきたテーピングを巻いて擦れが悪化しないよう処置。おかげで以降あまり気にならなくなった。テーピングを持ってきて大正解だった。

すでに明るくなってきているのでライトはここでお役御免。また、これから徐々に暑くなるのに備え半袖に着替えた。ただ、まだ寒いので腕にはいつでも外せるアームウォーマーをした。

約20分休憩、不要な荷物を預け、5:30頃出発した。



■虎ケ崎「つばきの館」(89.0km 07:10)

次のCPの虎ケ崎までは日本海を見ながら走るコース。しばらく走ると虎ケ崎を折り返して戻ってくるランナーとすれ違うようになり、元気をもらいながら走るが、さすがにしんどくなってきた。越ヶ浜入り口で左折して虎が崎を目指すコースなのだが、その左折ポイントがなかなか来ない。ここかなと思う個所にことごとく裏切られながらやっとの思いでそのポイントに到達。左折してすぐの明神池手前のビルの前で座り込み、パワージェルでエネルギーを補給。ここからはアップダウンのあるコースだ。再び走り始めた後は、ほぼ同じペースで走るランナーと話しながら並走、2人で話しながら走ると不思議と疲労を忘れいい感じで走れる。そのままのペースを維持したまま虎ケ崎のつばきの館に到着。チェックポイントカードに3つめの穴をあけ、名物のカレーを注文。食べたあとのことも考えて少なめにした。少し辛めでめちゃくちゃおいしかった。ビールを飲んでいる人もチラホラいたがここは我慢。250kmコースにはここを含めカレーを食べられるところが3か所あるようで、ホームページの書き込みをいろいろと確認したかぎりでは、ここ虎ケ崎の評判が一番いいようだ。来年は食べ比べのために250km戦しようかな?

 



■東光寺(97.3km 08:45)

つばきの館からは、少しだけオフロードとなる。来た道を帰るのではなく、虎ケ崎をぐるりと一周する感じのコースだ。先ほど並走した人の話では、次のチェックポイントである東光寺9時着が完踏へのひとつの目安らしい。9時までに着けばあとは歩いてでも完踏が可能とのこと。なんとなくだが完踏が見えてきた。

目安である9時の15分前に東光寺に到着。チェックポイントカードに最後となる4つ目の穴をあけた。近くの自販機でコーラを買い、コーラを飲みながら東光寺を後にした。



■道の駅「萩往還公園」(105.0km 9:45)

松陰大橋を渡り萩市街を走る。歩くようなペースだがなんとか走る。このあたりで100kmを超えたかな。でもここまで不思議と全く眠くならない。早朝から走り始める普通の100kmも途中眠くなるのに不思議だ。やはり相当気が張っているということかな?

跨線橋を越えすぐ左折。往路コースを間違えて走れなかった正しいコースを走る。このあたり、前方からは6時に瑠璃光寺をスタートした70km35kmの選手がひっきりなしにやってくる。頑張って!と皆声をかけてくれる。やはり彼らから見ると、140km250kmの選手はすごいということになるのだろうか。かつて、2002年のにちなんおろちで37kmに参加した時、100kmのランナーのタフさとチャレンジ精神に驚いた自分を思い出す。今の自分は250kmのランナーにその感想を持っている。今同じコースを瑠璃光寺目指して並走しているが、そのチャレンジ精神と奮闘ぶりに心から尊敬し、頑張れ!と声援を送りたい気持ちだ。

萩往還公園で体に水分補給するとともに、ペットボトルも満タンにした。ここからいよいよ険しい往還道にはいる。



■明木市(108.7km 10:46)

萩往還公園エイドからすぐ山の中にはいる。いきなり険しい“登山道”だ。くもりの予報だったが、時折陽がさし暑くなってきた。すれ違う選手に声をかけられ、こちらからも声をかけながら前に進む。たんたんと進むより明らかに元気をもらえる。あまり疲労困憊の姿は見せたくないという気持ちも働き、モチベーションも自然と高くなる感じだ。

明木市エイド着。往還道のなかでも最も険しい難所である一升谷に備え、パワージェルでエネルギー補給した。



■佐々並(118.5km 12:46)

一升谷の登りが始まる。最初は土の路面。とにかく長い。覚悟はしていたが・・・・

土の路面が終わると石畳。勾配も急になる。雨も降ってないのに時折滑りながら進む。一升谷はすべて歩いて登った。途中、道端に転がっている木の枝でいい按排の杖がないか探した。いいのがあったので数歩使用したが、やはり自らの力だけでという思いからすぐに使うのをやめた。いつまで続くのかという長い登りをやっとクリア。ここからの下りは比較的順調に時折走りながら下っていき佐々並着。このあたりではすれ違う選手もほとんどいなくなってしまった。

佐々並では豆腐2皿を食べた。おいしかった。あと15km



■ゴール(瑠璃光寺 15:16)

佐々並から板堂峠もしんどい区間だ。険しい山道ではないが、長くだらだらとした登りが続く。最後のふんばりどころだ。ときおり走ろうとするがなかなか続かない。途中、草餅エイドで休憩。このあたりから完踏は確信し、ゴール時間を意識し始めた。どうせ完踏するのなら少しでもいいタイムでゴールしたいとの思いで前へ進む。板堂峠を越えるとあとはほとんど下り。ここから調子が出てきた。前を行く選手を次々と抜きながら気持ちよく下っていく。でもさすがに長い下りに足も悲鳴をあげ、往還道の最後のあたりは太股プルプル状態だった。天花畑で一般道に出て残4km弱。最後の力を振り絞り、ゴールが近づくことでモチベーションも上がり、体は疲労困憊のはずなのに不思議とペースは落ちない。いい感じで走りながら、いよいよ瑠璃光寺に向かう最後の直線に入る。ここから沿道の声援が大きくなる。手を振り声援に応えながら瑠璃光寺に入り左に曲がる。そして五重塔をバックにゴール!!!

ゴール後すぐに完踏証と完踏賞(道標レプリカ)をゲット!

21時間16分44秒。予想を超える好タイムで完踏できた。

 

 












HP作成・2009年6月8日