にちなんおろちレポート2005



3回目のにちなん100km挑戦は少し不安を抱える状態で迎えてしまった。

この一週間の走行は0。練習不足は否めない。
でも、何とかなるだろうという気持ちが強く、当然のことだが完走するつもりで挑んだ。

序盤、走りは思いの外好調。20kmまでは、最初の5kmを除いて全て5km30分を切るペースで走った。
この時点では足の疲労もあまり感じることなく、完走はもちろん自己記録更新へ向けての期待も高まっていった。
日が昇るに連れ、徐々に暑さが増していったが、水分を充分取り、心地よい風が時々吹いてくれたので、それほど苦にはならなかった。
順調に最初の関門36.5kmを通過。熊避けの鈴を受け取った。
去年の鈴はばかでかく、大きな音がしていたが、今年のはこじんまりしていた。
ここまでは調子良かったが、船通山の険しい山道に入り、アップダウンを繰り返すうち、徐々に左膝に違和感が出てきた。

前半最大の難所である峠を越え、長い下りにはいるとその違和感は更に増し、決定的なダメージとして次第に頭角を現してきた。
右膝はなんともないのだが、左膝だけ着地の瞬間に内部深くまで浸透するような痛みがはしる。
昔、経験した座骨神経痛のときの痛みと似ているようにも思えるし、腸けい靱帯炎の時のような痛みにも思えた。
そして、殆ど走れない状態のまま、なんとか下りの途中にあるエイドに付いた。約57km地点。
一辺に一人がなんとか横になれる程度の長さを持った四角い建物があったのでそこに横たわった。
しばらくじっとしていた。このまま眠ってしまいたい様な気分になった。

起きあがって膝や足首のストレッチをしていたら、一人の女性が声を掛けてきた。

女性:『次の関門まであと何分ありますか?』
僕 :『次の関門は多里の63kmですので、あと2時間以上ありますよ。あと6〜7km位だから十分行けますよ!』
女性:『私、走れずにずっと歩いてて...本当に行けるんでしょうか?』
かなりネガティブになっている様子だった。
僕もほとんど走れてないのを後ろの方から見て、同じ境遇かと思って声を掛けてきたのかもしれない。
聞くとにちなんは初めてとのことで、この山道でかなりグロッキー状態になっている様だった。
女性:『あきらめなければ大丈夫って言われてきたんだけど、そういう問題じゃあないような気がして...』
僕 :『いや、そういう問題ですよ。ここまでこの時間で来てるのだから絶対大丈夫!あきらめないことがいちばん大事ですよ。』
女性:『やっぱりそうなんですか!でもずっと走れない状態が続いていて...』
僕 :『走れないときは歩いてもOK。必ず波があるのでそのうち走れるときが絶対に来ますよ!今は我慢しましょ!』
少し元気が出てきた様子。こんな僕でも過去2回完走していることを話すと、更に元気が出てきた様子。
女性:『今年も完走できそうですか?』
僕 :『あぁ、たぶん大丈夫と思いますよ。ここまでの時間は今年が一番早いですから!』
   →序盤のペースがよかったので、時間が早いのは正直そう思っていた。でも完走の自信は???
僕のようなへろへろの状態でも完走できるという言葉を聞いて更に元気を出してくれたようだった。
話しながら、あきらめないことの大事さを自分自身にも言い聞かせた。
そして一緒にそのエイドを出発したが、彼女は走り、僕は歩きで、すぐに彼女は見えなくなった。

※その後、彼女には会うことはできなかったが、ゼッケンNo.を覚えていたので、後で気になって完走者一覧を検索。
 14時間あまりかかっていたが無事ゴールしていた。非常にうれしく感じた。これもウルトラの醍醐味・ドラマのひとつ。

更にへろへろになりながらようやく多里にエイドに到着。だんご汁、おにぎり、お茶、コーラ等を食べて飲んだ。
目の前に氷の固まりとタオルがあったので、左膝の患部を冷やした。次の関門が気になりながらも、できるだけ長く冷やした。
多里の関門閉鎖まであと25分となったところで出発。しばらくは痛みをあまり感じず走れた。
ここで、このにちなん最大の難所である急坂を迎える。5km以上も延々と続く急な上り坂である。
上りだとあの違和感はあまり感じないのだが、そうでなくともパワーを吸い取られる坂である。へろへろの僕に容赦なく襲いかかってきた。
途中、雨が降ってきた。恵みの雨だなぁ、とその時となりを追い越そうとしていたランナーと話した。
でも歩くスピードはいっこうに上がらず、無性にも時間は刻々と過ぎていく。
ようやく峠となるコース最高地点を通過。これから長い下りが始まる。同時に左膝の違和感も始まった。
上りとほとんど変わらないようなスピードのまま下りを歩いて降りていく。
時間が気になる。今何km地点か気になる。関門閉鎖の時間は時計でわかるのだが、ここが何km地点で関門まで後何kmあるかわからない。
コース誘導係に聞いても明確な回答が返ってこない。ペースは全く上がらない。

下りきってしばらく行ったところで車で巡回中の役員が声をかけてきた。
役員:『関門閉鎖まであと○○分しかないで。距離は後○○kmくらいじゃけぇそのペースじゃちょっと厳しいで。』
そのとき僕は歩いていた。改めて関門閉鎖に間に合わないのではという危機感を強く感じた。
さらにその役員は、車で巡回しながら、
役員:『関門まであと○km切ったで。ここまできたんじゃけぇ。もうちょっとじゃけぇがんばって。』
などと、何回か声を掛けてくれた。

次の関門にはどうしても間に合いたかった。その理由はその関門直前の福栄大橋にある。
福栄大橋は、このにちなんのコースで僕が最も好きな場所。毎年子ども達がいっぱい集まっていて、ハイタッチでたくさんの元気をもらう場所だ。
たとえ関門に引っかかってもここには是が非でも行きたかった。
関門手前のエイドに到着。『あと関門まで何kmですか。』 『あと2kmくらいじゃねぇ。』 時計は関門閉鎖まで既に9分を切っていた。
ここがスタートだったら2km9分ならまず大丈夫だ。しかし75km以上走ってきての2km9分はとてつもなく遠いスピードに感じる。万事休すか!?
そのエイドに一緒にいたランナーは、既にレースをあきらめリタイアを告げていた。
でも僕は、最後まであきらめない...というより福栄大橋まで行きたいと言う気持でエイドを後にして、走り出した。
ここへきて少し調子が戻っていて、多少走れるようになっていた。
もしかしたら...2kmもなかったとしたら...という期待もむなしく、途中で関門閉鎖の時間を迎えてしまった。 The END.
福栄大橋は山の陰でまだ見ることもできなかった。約1km程手前だったと思う。

でも福栄大橋までは行こうと走っていたら、後ろからマイクロバス。『関門が閉鎖になりましたので乗ってください』 否応なしだった。
バスには既に3人乗っていた。僕の前を走っていたランナーを更に2人乗せ、関門に向かう。
バスに乗ったまま福栄大橋を通った。既に片づけに入っていたが、子供たちはまだたくさんいて手を振ってくれた。そして関門に到着。
この関門まで走ってきて引っかかった人、我々のように途中でバスに乗せられた人、合わせて10人前後いた。
ここでしばらく休憩。ソーメンをゆっくりと食べる。おいしい。また食べる。おいしい。結局4〜5杯食べた。
やがて大きなバスが来て、ランナーを乗せ、ゴール地点に向かった。

途中、苦しみながらも走り続けるランナーを見ていると、改めて悔しさがこみ上げてきた。クッソー!!!
今回は残念ながら完走できなかったが、来年はなんとしてもリベンジしたい!

マラソンで完走できなかったのはこれで2回目。一回目はフル初挑戦の3年前の作州でのことだ。
作州の時は、違和感が出たのが15km地点、リタイアしたのが30kmであり、違和感を我慢して走ったのは僅か15km。
今回は50km前後で違和感が発生して、その後30km近く移動している。
自らリタイアすることは全く考えてなかったので、関門さえ通過できてればまだまだ行けてたと思う。
しかも作州とは比べ物にならないほどハードなコースであることを考えれば、以前よりかなり我慢強くなっているのかもしれない。

何が原因で完走できなかったのか?

@練習不足。
   直前の1週間の走行距離は”0”。これではいかん。
A少しだけ油断。
   過去3回の挑戦全て完走。何れも厳しいウルトラであったので、決して甘く見ていたわけではないが、油断が全くなかったとは言えない。
B距離表示。
   コース最難関の峠から関門までの間、最も焦らなければならなかった区間での自分の位置がよくわからなかった。
   そのためだらだらと走って(歩いて)しまった。自分の位置がはっきりすればもっと早い段階からペースをあげることができたかもしれない。
C右足。
   今回、違和感のため決定的なダメージとなったのは左足だが、少し前から右足裏にできものがあって、レース途中少し出血していた。
   無意識のうちに右足をかばう走りになっていたのかもしれない。
Dゴールへの執着心。
   比較的早い段階で違和感が発生したため、ゴールへの執着心も早く薄らいだような気がする。
   残り10km〜20km位でのアクシデントだったら、ゴールへの強い執着心を最後まで持続できたのではないかとも思う。
来年に向かってやるべきこと。
@走り込み強化。
   これは当然である。マラソンの記録は練習で走った距離に比例するとも言われる。走り込みを強化しもっともっと強くて粘れる足を造る。
A筋肉強化。
   走力UPには筋トレも欠かせない。今まで疎かにしていたが。今後は注力していく。
B悔しさをバネに。
   今回の結果を決して忘れないようにする。そして来年は絶対に完走する!!!






作成・2005年7月9日