大会10日前、僕はある一冊の本を手に入れた。以前からいろんな本屋で探していたのだが、なかなか見つからず、結局RUNNETでネット上で注文し、それが送られてきたのだ。その本は、10年間で42回ものウルトラマラソン(100km以上のマラソン)を完走した経験を持つ夜久弘さんが書いた『ウルトラマラソン、完走の幸せ・リタイアの至福』という本である。僕はむさぼるように読んだ。出張に行く時も持っていって繰り返し読んだ。
実は僕はこの本を読んでいて何カ所か涙が出てきたところがある。それが何を意味する涙なのか未だに僕自身わからないのだが...。たぶん周囲からみると相当変な奴に見えるだろう。
作者は何回も走ったウルトラマラソンのなかで完走できなかったレースが最も印象に残り、またベストの走りをしたのはと問われても答えはやはり同じレースだという。そのレースで、彼は、後半力つき一歩どころか半歩さえも前へ進むことができない状態になり、その瞬間、彼は公式のゴールは切れていないが間違いなく自分自身のゴールを切ることができたという。力を出し切ったそのレースこそ自分にとってベストな走りができたレースだという。
僕は、今まで生きてきて『自分のゴール』を切ったことがあるだろうか。少なくともマラソンでは
まだない。勿論毎回いっぱいいっぱいで走っているのだが、それは、まだまだ『自分のゴール』とい
える域ではない。その場にうずくまって涙して、半歩さえも前へ進めない状態ではない。
大学時代、僕は武道系の部に所属していたため夏合宿等では相当な思いをしてきた。『自分のゴー
ル』に近い状態であったことは間違いない。しかし、大学の部での思いは自分から欲した物ではなく、
先輩からの強制・しごきがあった故その状態にならざるを得なかったといえる。これはこれで、その
後の自分にとっていい経験だったといえるのだが...
しかし、ここで言う『自分のゴール』は他からの強制力は一切ない状態で、自分からそれに向かっ
て飛び込んで行ってたどり着くものであって、大学時代のそれとは全く異なる。
とにかく、『自分のゴール』がどのようなものか一度経験にしなくてはならないと思った。かくし
て私は、いつかきっとウルトラマラソンにチャレンジすることを決意した。完走できないかもしれな
い。きっと走ってる間は後悔するにちがいない。でも絶対に完走するつもりで走り『自分のゴール』だけは切る覚悟である。5年も10年も先のことではない。ここ2〜3年以内にである。これは、いつも読んでる雑誌ランナーズの影響で時々起こる錯覚の最たるものかも知れない。でもこんなことを考えている時というのは、実は自分自身がとても好きに思える一瞬でもあるのだ。
もっとも、次のフルマラソンで『自分のゴール』を体験することになるかもしれないのだが...
2002年2月19日