綿


綿は塩分をいくらか含んだところの畑で、麦の後作で植えていた。


ほりあげの畑に植えとった。内海のネキは塩分があるんで。

綿はようできとった。




2001年1月5日





綿


海を干拓後、綿は土地の塩抜きとして栽培された。茂平はもちろんのこと、入江であった用之江や大dも、初めは綿の木を植えたのだろう。

岡山県史・民族1より転記




綿の本格的栽培は江戸時代から明治20年ごろまでである。
安い外綿の輸入によって、生産が減少した。
綿は寒い地方では栽培できない。無霜期間200日といわれるように霜に弱い作物である。
温暖な地方でも「地に合う」ところと、合わないところがある。
地に合うところは毎年のように作られたので「ワタバタケ」と名が付いたほどである。
県南の干拓地ではまず綿を植え、シオヌキをした。金肥として干鰯が重要な肥料であった。
収獲は手摘みで人出を要したので、子供たちを手伝わせた。







2015年11月29日 | 農業