葉たばこは(作る人が)茂平にもおる。
乾燥小屋ももって。
いしまるのおごしには水落ちでつくっとった。
用之江や大≠ヘ多いが、茂平ではあそこだけじゃろう。
2000・6・25
(どうして茂平に葉たばこはすくなかったのか?)
そりゃ山のほうがエエ。
畑が山の上のほう。砂地で。
塩気があったらいけん。
2001・2・25
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葉タバコ
少学生の時、茂平から用之江になり山畑には葉タバコ栽培が多かった。
大≠烽サうだ。しかし茂平にはほとんど無かった。
岡山県史・民族1より転記
葉タバコ作りは種子蒔き準備の温床作りから、温床での何度かの間引き、一日何度もの灌水、さらに本圃へ移植してからは何回もの土寄せ、施肥、芽かぎ、そして収穫期には土葉、中葉などと順をおって、一枚一枚もぎとり、連編み、乾燥作業、葉のしなど、丸一年間、手塩にかけるきつい作業が続いている。
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葉タバコ
金光町史より
浅口郡では昭和4年に黄色種が導入された。干ばつの昭和14年と、それ以降は三倍以上に増えた。もっとも活況は昭和16年である。
家族の多い農家は救いであったが、労働時間の長いタバコ作は嫌われた。
@忌地(いやじ)性(輪作がじゅうぶんできない)Aやせた傾斜地に作ることが多いので初夏からの乾燥で収量があがらないBタバコ作は労働時間が長く、高度経済成長期になると本腰でやる人が少なくなった。
金光町のタバコ作は昭和16年を峠に衰え、戦後に復活し昭和40年頃がピークで、平成元年に消滅した。