藺草
管理人が小学生当時、「岡山県」で「日本一」と言えば「イ草」の生産高だった。
管理人が学生時代、山陽本線の松永駅に着くとホームの北側にイ草田んぼが見え、
南には塩田跡地が広がっていた。松永駅では瀬戸内を代表するものが見えていたことになる。
城見地区でもごく僅かだが戦前は栽培されていた。
資料調査後に、城見地域の栽培・生産を追記する。
とりあえず隣市の「井原市史U」より転記する。
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藺草は、昭和初期から十年代前半を通じて、稲倉村、県主村、木之子村で多く作られていた。
特に稲倉村や県主村では、藺草用の土が搾取できたことも良条件となった。県主村では、恐慌期に、染土のみ出荷が良好だったという。
藺草と対照的に、はっかと除虫菊は全町村で収穫された。