小学校のある用之江に歩いていくと、逆に、用之江から大勢のおばさんたちが茂平にきていた。
桃、びわの袋掛けには用之の江を中心に、大宣からも来ていた。
あくまで桃が主である。
いつのまにか、来ないようになったが ?との問いに
人件費がただ同然の時代であったが、高くなったので止めたのだ。
桃の相場とあわんようになった。
日当がでんようになった。昔はただみてぃなもんじゃったけぃ。
いまでもツテや、親類をよんでやっている。
昔から女を雇っていた。
葡萄は自分達でしとった。
2000年05月28日