機関士のころ・今で言えばパイロット並



ワシは昭和15年から岡山機関区にはいりSLの機関士をしょうた。


最初は掃除からすんじゃ。

それから罐焚(かまたき)を習ぅて・・・機関助手じゃ。
それから試験を受けたりして、


昭和18年から機関士になった。


「大正6年に、機関士の月給55円。」
それが生きとる。

郵便の集配が10円くれいよ。。

ドカタがいちんち60銭、60銭ゆうたらなあ・・・・酒一升。

学校の校長は3536円。


その時分ざっといちんち2円20銭になりょうた。

話にもならんのよ。


じゃけい競争率はものすごいんじゃ。

今で言えば飛行機のパイロットと同じ。

それくらい貰ぅとった。

近藤鶴代いう岡山の一女、第一高等女学校出がおる。
その一女出を機関士の6割7割くらいが嫁に貰ぅとった。

給料がちがうのでおんなが飛んでくる。


今でこそほっとけば電車は動くけど、競争はぼっこかった。

特別技術者じゃった。


貨物列車やこは繋ぐのに時間があるんじゃ、それで

汽車の待ち時間笠岡の駅長室に行けばのう、
駅長がお茶をついで呉りょうた。



昔の機関士はぼっこう給料がえかった訳よ。













金浦座ものがたり



作成・2005年7月24日  追加更新・2005年7月30日