「公職追放」 (岡山県)
「岡山県史現代T・公職追放と選挙」より転記する。
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いわゆる公職追放は、非軍事化・民主化のための最も重要な占領政策の一つであった。
昭和20年10月4日に連合国総司令部は、治安維持法その他の自由抑圧法規の廃止、政治犯の即時釈放、思想警察の廃止、内務大臣をはじめとする特高警察官の罷免などを使命した。
岡山県では当時の県警部長、特高課長以下特高関係警察官69名が罷免された。
愛国的労働団体の役職員の労働界からの追放。大日本産業報国会、大日本労務報告会、日本海運報国団などの主要役職員が解任された。
第一次追放
ABCDEFG(前述)の一切の者を公職から罷免し、かつ官職に就かせないように命じた。
当時公職にあって、明らかに覚書に該当すると思われた者の多くは、自ら辞職した。
岡山県知事・安積徳也も、大政翼賛会県支部長の経歴があり、他の27人の府県知事らとともに1月25日辞職した。
公職適否審査委員会は、昭和22年1月4日までに3759人の審査を行い264人を該当者と判定した。
以上第一次公職追放の該当者1067人のうち807人が公職から罷免され、260人が政府機関への就職を禁止された。
第二次追放
総司令部は公職追放を地方と経済界まで拡張するよう命じた。
昭和21年10月30日の合同新聞は「公職追放範囲拡大の声におびえて岡山県下の町村長が続々辞表を提出、供米その他の地方自治の運営に支障を来しつつあり」と報じている。
昭和22年1月施行令が公布され、追放が実施されることとなった。
これによって県会議員は主要公職とされ、該当者は退職させらることがはっきりした。
33議員のうち24名が該当するとわかり、審査を待たずに辞職した。
中央公職適否審査委員会は昭和23年5月10日に廃止されるが、それまでに57.116人を審査し、3633人を該当者と決定した。
県選出の犬養健はG項該当者と判定され、立候補できなくなった。
地方公職適否審査委員会
地方には県と5万人以上の市に委員会が置かれた。
全国の審査総数は651.000人。該当者は4081人であった。
潜在的該当者の追求
公職に就いていないため、指定を免れている潜在的該当者にも指定が行われることになった。
193.000人のが指定を受けた。
岡山県地方課が、県内の潜在的該当者を取りまとめたのは、大政翼賛会支部長610人、大政翼賛壮年団長735人、在郷軍人分会長1508人、大政翼賛協力会議長353人、極右団体32人、昭和17年総選挙の翼賛会推薦議員11人、同推薦団体16人、計3265人。このうち死亡264人、既指定25人、未復員41人であった。
2017年02月06日 | 昭和21年〜25年