大正時代の城見村A工業・漁業



大正時代の城見村のようすを転記する。

今と違い、ずばずばとストレートに記述している。
漁業では、明治17年に堤防決壊がいかに大事故であったのかを彷彿させる。
行商業は、誰が何処に何を売りに行っていたのだろう?


小田郡史(大正13年版)の城見村史より


工業

農村なるが故、甚だ振るわす。
独り農業の副業として麦稈製造、陶器、瓦、曹達等の製造あり。



麦稈及び真田紐製造
麦稈原料 2100貫 真田紐20.000反

陶器
大字茂平字阿浜海辺にあり、明治40年4月15日吉備郡岡田村水川豊太郎ほか2名が合資組織を成立し、吉備製陶合資会社を設立。
大正4年の産額は家具2.800円、其他300円。

瓦製造
大正4年本村の瓦製造戸数は三戸にして職工7人なり。数量38.000個、570円に及べり。

曹達製造
一戸にして職工一人なり。

商業
本村の商業極めて振わず。左記の小商を算するのみ。
物品販売者3人、問屋業9人、行商業20人、外国税営業者1人

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水産業

往昔より副業的に営み来たり。明治初年頃より17年頃までは打瀬網漁業を農業の副業として経営し来たりしも明治17年海嘯(津波)により漁船の破壊と共に漸次衰退に趣く。
明治36年茂平漁業組合を設立し今日に至れるも水産物の減少し、浜村と目すべき価値なし。
組合員16人、専業5戸、兼業6戸。壺網従業者9人、打瀬網従業者4人、投網従業者1人なり。








2017年01月22日 | 大正