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空襲警報
ラジヲの情報が主。
朝も昼もなかった。
(茂平?)あの時分、6月や7月頃じゃ、桃や梨の袋掛けをしょうる。
鳴っても・・入るも逃げるも・・・ナンもできゃあせん。し、(忙しくて)それどころじゃあねぃ。
人間を見ると機関銃で撃つってくら。危ねいけえ隠れぇ、ゆうて木の陰に行くくらい。
空襲警報・警戒警報は今の半鐘、警報台からサイレンが鳴りょうた。
せえだけじゃ。
「鳴りょうるのう。」、言うてようた。
2000年09月10日
茂平の半鐘のところにサイレンがあり、それが鳴っていた。
まず警戒警報が鳴る。これは米軍の飛行機が西日本の方に向かってきている、という時にする。だから地域は非常に広い。
次にその飛行機の進路が大体決まった(と思われる頃)空襲警報がでる。
サイレンの音は家にいても、畑にいてもどこからでも聞こえる。がそれを聞いたからどうするわけでも無い。
2000年09月10日
空襲「鴨方町史」より
県下で最初の空襲は、昭和20年4月1日B29 1機による水島三菱重工製作所を襲ったもので、その後数回にわたり空襲があり、また、6月29日岡山市が大空襲を受けた。
終戦の年鴨方面に出された警報の情況
四月 計八回(警戒)
五月 計十六回(警戒)
六月 計十九回(警戒十六回、空襲三回)
七月 計四十一回(警戒三十一回、空襲十回)
八月 計十五回(警戒十一回、空襲四回)
2000年11月12日
2000年09月10日