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茂平阿浜への空襲
皿山に行った際、窯元のmさん(50代)と話した。(2016.9.1)
m氏が親などから聞いた話。
「この浜に赤とんぼが一機いて、まだ繋ぎもしてない時
艦載機が神島方面から飛行してきて、撃ってきた。
赤とんぼが浜に(隠れもなく)まる裸同然なので狙われた。弾は飛行機、砂浜海岸、家・小屋の屋根が撃たれた。人の損傷はなかった。」
「戦後、(大津野飛行場に)オーストラリア兵が進駐していた時、2~3の兵が短期間、小屋のところ(吉備焼の作業所や置き場)にいた。
オーストラリア兵は悪いことはしなかった」
茂平苫無や神島見崎は襲撃されてない。完全に露出した状態の飛行機であり、たまたま通りがかった艦載機が狙ったと思われる。
「福山空襲と戦時下のくらし」福山市人権平和資料館より引用する。
「吉備製陶合資社」の跡地(笠岡市茂平)
茂平海岸にあった吉備焼き登り窯を軍事施設と見たためか、機銃掃射を受けた。
航空隊水上機の係留場所(笠岡茂平)
茂平海岸は遠浅で水上機を分散疎開係留していたため、銃撃を受けた。
※管理人記・茂平が二ヵ所機銃攻撃を受けたことになっているが、「航空隊水上機の係留場所(笠岡茂平)」の写真は吉備焼きの海岸を使っている。
いずれにせよ、茂平が・・・すくなくとも吉備焼き・・・攻撃を受けたのは事実のようだ。
神島見崎の空襲
神島のIさん(終戦時少学5年)の話・2006.3.10
大津野飛行場から飛行機がきていた。
砂浜(御手洗池)の木を切って、
海辺からレールを(山に向かって)引いとった。
飛行機を格納しとった。
20機くらいはおった。
艦載機がおりてきたときにゃこわかった。東から来とった。
2~3回は来たじゃろう。
いちど、
一機だけ来たことがある。
僕の頭のうえにきた、
「うわあーーー、きたきた。」ゆうてすぐ、船の下へかくれた。
池のほとりには瓦を2~3枚抜かれてた家がある。
「空襲警報はつれい」
サイレンが鳴ったら、山に隠れて空を見ようた。
そうゆう時は授業はねえ。これで今日は学校に行かんでもええ思ようた。
水島
水島が攻撃されるのは学校から見ようた。
下から撃つけど、飛行機まで届かんゆうのが見ようた。
2016年09月03日 | 昭和20年