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お母さんと言って仲間は出撃して行った 昭和の遺言・千玄室
以下は週刊朝日2015年2月13日号の記事。
--昭和の遺言--千玄室
同志社中学3年の時、皇紀2600年の行事を迎えたのです。
昭和の時代で一番身が引き締まったのがこの出来事です。
日本だけで通用する紀元が出てきたのですから。
出撃が決まると特攻隊員は鹿屋基地へ移動します。
「千、お茶してくれや」という仲間がいました。
配給の羊羹を切って飛行機の横に車座になってお茶を点てました。
「生きた帰ったら、お前のところでほんとうのお茶を飲ませてくれ」と言われ胸苦しい気持ちになりました。
特攻隊員は従容として死地に赴いたのではありません。
心ならずも戦地に駆り出され、死を強要され死んでいったのです。
みんな「お母さん」と言って出撃していきました。
みな、生まれた時の無垢に戻りたいのですね。
私がお茶を点てる時は「このお茶があなたの幸せになりますように」との願いを込めています。
国も人種も、思想も宗教も越えてお茶を頂く、その人の幸せを願うのです。
2015年02月12日 | 昭和16年~19年