「ワシは死んどった」
学生時代。 昭和44・45年、僕は大学の3年と4年の時の夏、玉島市八島(現・倉敷市玉島八島)の叔父の家にイ草刈に行った。 叔父は言っていた。「戦争がもう2〜3週間続いたら、ワシは死んどった。」 その当時、叔父に限らずそういう言葉はよく聞く言葉でもあった。 あれから30年、叔父の世代も減っていった。 そして今、僕自身が思う。 叔父はなぜ「死ぬ」ことに志願して往ったのだろうか?
2003年2月20日