叔父が60年近い前の出来事を話す時、感情があふれることがあった。
その最大のものは死を覚悟した少年の「特攻」攻撃が一時中止になった時のこと。嗚咽のようなものを感じた。
「予科練」に合格した時のうれしそうな感激。
原爆と知らず見た「原爆」のすごさ。
肉親のこと。
合格に喜ぶ少年と、親との対比。
合格してほしくない兄のことば。きっと兄として予科練受験を止められなかった自責もあったろう。
松山を訪れた母は最後にわが子の顔を見に来たようにも感じた。
なお、このホームページ「たけさんの松山予科練」は2003年3月15日午前8時〜12時、玉島の叔父の自宅にて聞いたものをまとめたものです。
2003年3月23日