母からの軍刀


母親が(松山へ)来たのは(昭和20年)6月頃じゃッたと思う。
「帰ったら、麦を刈らにゃいけん。」ゆうてようたから。


あのころの事じゃけい、汽車ゆうても、いつ汽車が動くか動かんかもわからん時じゃった。


三原から船で来た思うた。軍刀を持ってきてくれた。一泊してくれた。


ワシのために軍刀を買うて、それを持ってきてくれた。

(戦後に)ワシの仲人をしてくれた西江原の郵便局の局長から買うた。その人は昔から刀をよく見る人でなぁ。



今でもまだ生きとる。95・6になる。テニスの日本を代表する選手じゃった。局長は息子に譲っとるが。
興譲館の英語の先生じゃった。
いまだにワシは大事にしてもろうとるんじゃ。


2003年3月20日