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「遺書なんて止せ、止せ、お偉いさんが読むだけで、特攻は軍の機密だとか何とか言って、

どうせ家族には渡してもらえないんだ……」

と、検閲されて破棄されるのが落ちだと言い張る者もいる。その当時、分隊長や飛行隊長

その他責任ある立場の者から、遺書の取り扱いについて説明を受けたことはなかった。   

 

  思っている事や、伝えたい事をそのまま書くことのできない立場にいながら、なおかつ、

肉親に伝える内容や渡す方法を模索しなければならない焦躁は、これを体験した者でなけ

れば到底理解できないであろう。そのうえ、遺書を書いたとしても家族に確実に届けても

らえるという保証はなかったのである。         

 

 洋上飛行を主な任務としていた、海軍の搭乗員が戦死や殉職した場合、遺骨などは残ら

ないのが普通である。まして帰還を否定された、「体当たり攻撃」ではなおさらである。

だから、なんらかの証しを遺しておきたいと思うのは人情である。

 

 この時期、だれが思いついたのか「遺髪」を伸ばすことが流行し始めた。われわれ下士

官兵は規則によって長髪は禁止されて、すべて丸坊主であった。だからその場になって、

遺髪を遺そうとしても、短すぎて役に立たない。そのため、頭の天辺に一つまみの頭髪を  

刈らずに残していた。そして、お互いにその長さを自慢し合っていた。無邪気といえば無

邪気なものである。しかし、この様に大切に育てた遺髪でも、確実に家族に渡される保証

はなかったのである。            



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2003年3月23日