遺影
ある日、飛行訓練も終わり、デッキで皆が雑談していた。すると当直下士官が、
「写真撮影をするから、第一種軍装の上衣だけを着て、兵舎前に集合せよ!」
と、伝達した。
「おい! 何の記念写真だ? 上衣だけとは変だなあー」
当時は現在のようにカメラが普及していない。だから、特別な事情でもないかぎり写真な
ど写してもらえない時代であった。
「どうせ写真を撮ってくれるんなら、飛行服で写せばよいのになあー」
「当直下士、本当に一種軍装と言われたのか?」
「一種軍装だってかまわんよ。俺、今度外出したら写真屋に行く予定だったので助かった、
写真班の兵隊に航空食でもやって、焼き増ししてもらおう……」
過去の例からも、お仕着せで写真を撮ってもらったのは、初飛行とか卒業記念など特別
な場合に限られていた。「特別攻撃隊」を編成したので、晴れ姿を家族にでも送れという
のだろうか……、何となく華やいだ気持ちになり、皆ニコニコと談笑していた。
写真班の兵隊は、十名ずつを二列に並ばせて次々に写していく。何となく楽しい気分で
ある。すると、
「お前ら、いい気なもんだなあ……、それが何に使う写真か分かっているのか?」
と、遅れて出てきた先任下士官が口を出した。
「……?」誰も答える者はいない。
「この写真はだなあー、お前らが戦死した時、引き伸ばして額に入れて、海軍葬の祭壇に
飾るんだぞー。家族に渡すのはその後だ」
今までの華やいでいた雰囲気が一変して、皆しゅーんとなってしまった。
「死装束」にしろ「遺影」の作製にしろ、帝国海軍の手回しのよさには感心させられた。
気づいてみれば、毛布で前後列の間を仕切り、後で一人一人に切り離せるように、細工を
して撮影していたのである。
2003年3月23日