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入隊直後13期後期鹿児島

  昭和十八年八月一日、伊東宣夫、小寺一男、宮崎昭、渡部義彦、安藤裕康それに私(小 

野昭二郎)は、佐伯中学校同級生のトップをきって、第十二期海軍甲種飛行予科練習生と  

して、鹿児島航空隊に入隊した。

 

  憧れの七つボタンの予科練の制服を着て、鹿児島まで送りにきた親たちの前で、笑顔で

敬礼。予科練生活のスタートをきった。入隊したらすぐにでも飛行機に乗せてくれるもの  

と思っていた。ところが、予科練とは本科に相当する飛行術練習生に対する予科の意味で、

搭乗員としての基礎である気力、体力、学力を身につけるところであった。

 

  入隊の日はやさしかった教員は、翌日から豹変した。海軍伝統の「軍人精神注入棒」い

わゆるバッターで追い回されることになった。基本教練をはじめ、陸戦、水泳、カッター 

と、息つく暇もない猛訓練の連続である。モールス信号の送受信をはじめ、発光信号、手 

旗信号、旗旒信号など搭乗員として必須の通信手段は徹底的に教育された。

             


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2003年3月23日