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☆ 用語解説
大本営
戦時または事変の際に設置された、天皇に直属する最高の統帥機関。陸軍部、海軍部があった。
1893年(明治6年)に制定され、終戦と同時に廃止。
予科練
海軍の航空機搭乗員としての基礎訓練を行う練習生課程をいう。海軍飛行予科練習生の略称で次の区分があった。
甲種~中学4年(後に3年となる)程度の学力ある者から採用
乙種~高等小学校卒業程度の学力ある者から採用
特乙種~乙種予科練合格者の中から採用
丙種~海軍の一般兵科から志願した者から採用
他にまぎらわしい名称だが海軍予備練習生、略称予備練~逓信省航空機乗員養成所出身者から採用
甲13期~第13期海軍甲種飛行予科練習生の略称で昭和18年10月1日(前期)と12月1日(後期)に別記7カ所の
航空隊に分かれて入隊した。
予科練航空隊
土浦空・鹿児島空・三重空・松山空・美保空・宇和島空・奈良空
兵籍
軍隊の戸籍のことで、士官以上は海軍省、下士官以下は鎮守府毎に登録されていて、各科毎に番号が附けられたが、
横は横須賀鎮守府、志は志願、飛は飛行科のこと。
鎮守府(ちんじゅふ)
国内を四区分して統括していた。即ち横須賀、呉、佐世保、舞鶴に置かれた。
衣嚢(いのう)
海軍の下士官・兵が各人の衣類を収納しておくズック製の袋。名前と兵籍番号を記入何処へ転勤する時にも担いで行った。
因みに、士官以上はチェストを使っていた。海軍では他にも英語等横文字を平気で使っていて娑婆では敵性語と言っていたから
奇異に感じた。
軍服・軍帽・略帽
兵はセーラー服、下士官は詰襟五つ釦、准士官以上はモール縁の服(夏は白色に五つ釦)。
第一種軍装(濃紺色・冬服)、第二種軍装(純白色・夏服)、第三種軍装はS19・8月制定された(草色で全て五つ釦)。
予科練、飛練は七つ釦に、桜と錨の襟章。兵の軍帽はひさし無しで後部に2本のひらがついている、
下士官以上ははひさし付きで帽章が下士官と准士官以上とではデザインを変えてあった。
略帽も第一種、第二種、第三種まであって下士官には1本の識別線に錨の帽章、准士官以上は2本の識別線に錨と桜の帽章。
階級章
右腕に付す。地色は黒。錨・線・下士官は錨に抱茗荷・黄色の刺繍。中心に桜のマークがついていて飛行科は藍色。
線1本は1等兵・2本は上等兵・3本は兵長で下士官は線に(抱茗荷)1本は2等兵曹、2本は1等兵曹、3本は上等兵曹。准士官以上は襟章と袖章で識別した。
善行章
階級章の上につける山型の章、3年で一本、三本の下士官もいた。
特技章
左マークなどといっていたが、普通科は一重桜、高等科は八重桜で飛行練習課程を卒業すると八重桜マークが下付された。
海軍の階級
海軍二等飛行兵・一等飛行兵・上等飛行兵・飛行兵長 海軍二等飛行兵曹・一等飛行兵曹・上等飛行兵曹「下士官」
海軍飛行兵曹長「准士官」 海軍少尉・中尉・大尉(だいいと呼ぶ)「尉官以上には飛行は付かない」
海軍少佐・中佐・大佐 海軍少将・中将・大将
罰 直(制裁)の種類
バッター
野球のバットほどの太さと長さで「軍人精神注入棒」というのが正式名称だがバッターと言った。
これでお尻をいやっというほど叩かれる。
牛殺し
牛を屠殺するように眉間を指ではじく(しっぺ)される。
安全装置
顔面を左手で鼻だけ出し、右手の平で押しまわす。鼻をつまんでねじる。
アゴ
ゲンコツで力いっぱいに頬をなぐられる。総員整列「前列一歩前、後列一歩後、総員足開け!歯を食いしばれ!」。
教員がこぶしを固めて一人一人を殴っていく。練習生どうしが向き合って殴り合うこともあるが手加減しようものなら、教員が飛んできて
見本を示されるから本気でやらなくてはならない。
前支え
これは腕立て伏せの「腕立て」の状態を続けて体を支える。5分も経てば腕はぶるぶる尻は上がる。更に疲れて来たころ「右足上げー」
などの意地の悪い号令がかかって来る。少しでも気を緩めれば教員が飛んできて尻を足蹴にされ、バッターでこづかれる。
また、あらかじめデッキに水を撒いておいたりして事業服の裾が濡れるのでそんな時は「兵舎の周りを速駆け3回!」などを科せられた
こともあった。
急降下
これは前支えの変形で、足をテーブルに上げて頭を下にし、45°位の角度になるからこのように呼ばれた。
折敷け
右足を折り曲げて尻の下に敷き、左膝を立てた身の構えであり何時でも立てる姿勢であるが寸時の休憩に使われた。
しかし、「折敷けー」、「立てー」を立て続けに、ホイッスルでやらされる。何回でどうなるか試してみると分かる。
号笛(ホイッスル)
号令をかける前に注意を促す笛。長短の吹き分けで号令の内容がわかったように記憶している。「ポピーポピっ」「ポピーポー」
練兵場
学校の校庭(運動場)と同じで、屋外での体育・訓練・集合場所の広場、陸軍では営庭といっていた。
食卓番
食事当番のこと。
烹水所
炊事場のことで主計科の兵が調理した。主計科の兵隊は概ね太っていたようで羨ましかったように思った。
ソーフとオスタップ
海軍独特な用語であるが言うなれば掃除用具の事、ソーフは(雑巾のことで棒のないモップ)と思えばよい。
古いロープを120~130㌢の長さに切って二つに折り、何本か合わせて折り曲げた部分をきつく縛り、
その先の縒りを戻してばらばらにしたものであって居住デッキの拭き掃除に使用、オスタップというのは
盥型で雑巾バケツに類するものであるが、直径70~80㌢、深さ30㌢程度のジュラルミンで2箇所に手を入れる環が
ついていて4人で運んだが頑丈なもの。食卓を拭く布巾は内舷マッチ、食器を拭くものをテーブルマッチといっていた。
甲板掃除
海軍では全て艦内での生活と捉え居住区の床も甲板(デッキ)といっていた。冬のデッキ掃除は冷たく辛いものであった。
半舷上陸
上陸とは外出のことで、艦船が入港したときに乗組員全員を上陸させられないので2分の一づつを上陸させる。
艦艇の右舷と左舷になぞらえて半舷といった。航空隊など陸上勤務者についても外出を上陸といった。
なお実施部隊(実戦航空隊)へ行けば一日置きに上陸できたがこれを入湯上陸といった。
信号旗
万国信号旗でAから始まってZまであった、それぞれ意味を覚えるのに苦労した。
この旗だけは、誰でも知っていた。日露戦争(1904~05)、日本海海戦(05・5・27)
において旗艦「三笠」に掲げられた(皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ!)
当時幼稚園の子供まで知っていた。奇しくもこのページ書いている時wカップサッカー
ロシアと対戦勝利した。
定員分隊
練習生以外の航空隊を維持管理する分隊をいう。烹水場の主計科と機関科など。
飛練航空隊には、操縦分隊・整備分隊などがあった。
用語解説2
水晶発振子
アマチュア無線をやっている人は分っていると思うが安定な周波数発振素子としては、最も良く使われている振動子です。
簡単に、10×-6乗/℃程度の温度安定度が得られます。周波数範囲も広く、発振回路も比較的簡単なため、
数多くの場面で使われています。形や大きさにも種々あります。
垂下空中線
長波のアンテナは必然長いので(75㍍であった)先端に鉛の錘をつけて機体に絡まないようになっていた。
従って着陸する前にアンテナは機内に巻き上げる。
蛇足だが、電波の周波数F(Hz) ・と波長?(m)関係式やアンテナの長さLの算式、その他電信機の回路図など必
死に記憶した。おかげで後年受験したアマチュア無線の試験に役立った。知識欲旺盛の時に頭に入ったことは軽軽には
忘却しないものであると思う。
飛 練
予科練教程を卒業すると飛行機に乗って、操縦術、偵察術の実地訓練を行う。予科が取れて飛行練習生の略称で操縦術、偵察術
飛行練習生教程をいう。予科練の期とは違う呼び方になり甲13期が進んだ飛練は、操縦は38期から42期まで、偵察は38期から
41期までであって操縦、偵察に分かれて各航空隊へ入隊した。
飛練航空隊
操縦専修と偵察専修の航空隊があった、甲飛13期が入隊した偵察航空隊のみを挙げた。
鈴鹿空・大井空・高知空・徳島空・上海空・青海空
実施部隊
操縦飛練を卒業した者が実用機の錬成訓練を受ける航空隊で艦爆、艦攻、艦偵、陸攻の訓練教程、偵察飛練卒業者もそれぞれの
飛行機の後席で前記の作業の訓練を行う。
作戦部隊
文字どおり作戦に従事する航空隊を言う。終戦間際の航空隊は特攻隊になってしまったので前記の実施部隊イコール作戦部隊といえる。
艦爆・艦攻・艦偵・陸攻・
艦は艦上機(航空母艦)、爆は爆撃機、攻は攻撃機、偵は偵察機、陸は陸上の飛行場発着する飛行機の意。
海軍の飛行機には他にフロートを付けた水上飛行機と大型の飛行艇があったが主に偵察機として作戦に従事していた。
六分儀
六分儀は現在でも衛星航法装置などを積んでいないヨットなどで、また水平線を見るとき水銀盤でなく気泡を使うタイプは航空機
、
などで使われている。0度から60度までの目盛りがついていて、円を六分した形なので六分儀と呼ばれている。
薬莢(やくきょう)
弾頭を発射させるための火薬を詰める真鍮製の筒。銃砲に装填して弾丸を発射するのに使う。
銃砲の中で雷管の底を撃鉄で強打すれば火薬が爆発し弾頭が発射される。 ▲ トップへ
履歴表
海軍兵には各人にそれぞれ履歴表が作られます私には復員時に渡されなかったが同期の田口さんのものがありますので書いておきました。
田口直江 横志飛14324
18・10・1 松山海軍航空隊ニ入隊
松山空
〃 海軍ニ等飛行兵ヲ命ズ
松山空
〃 第十三期甲種飛行豫科練習生ヲ命ズ
松山空
11・1 海軍一等飛行兵ヲ命ズ
松山空
19・1・1 海軍上等飛行兵ヲ命ズ 松山空
3・31 松山海軍航空隊ヨリ本日附当隊ニ配属変更トナル
松空宇和分
4・1 海軍飛行兵長ヲ命ズ
松空宇和分
5・20 第十三期(1次)甲種飛行豫科練習生教程卒業
松空宇和分
〃 第三十八期飛行術練習生トシテ高知海軍航空隊ニ入隊ヲ命ズ
(即日仮入隊) 松空宇和分
5・20 仮入隊中ノ処退隊(宇和島高知間隊伍旅行)
松空宇和分
20・2・15 第三十八期飛行(偵察専修)練習生教程卒業
高知空
〃 自19年7月至20年2月 航空機搭乗加算0年6月半
高知空
2・15 高知海軍航空隊附ヲ命ズ
高知空
3・1 第10航空艦隊第13連合航空隊ニ編入セラル
高知空
3・14 大和海軍航空隊附を命ズ(即日仮入隊)
高知空
〃 自20年2月至20年3月 航空機搭乗加算0年1月
高知空
〃 自20年2月至20年3月 高知空ニテ戦務丁
高知空
3・15 仮入隊中ノ処退隊
高知空
19・7・10~20・2・15 高知海軍航空隊ニテ戦務丁
大和空
20・5・1 任海軍ニ等飛行兵曹 横鎮
20・5・5 第10航空艦隊ヨリ除サレ第3航空艦隊ニ編入セラル
大和空
7・31 峰山海軍航空隊ニ派遣ヲ命ズ
大和空
〃 自20年3月至20年7月 航空勤務日誌ニ依ル加算0年6ケ月 大和空
〃 自3月16日至7月31日 大和海軍航空隊ニテ戦務丁
大和空
8・31 任海軍一等飛行兵曹
横鎮
〃 予備役編入
横鎮
〃 退隊帰郷
大和空
厚生省援護局保管千田明の履歴証明によると航空勤務及び戦務丁は次のとおりとなっている。
自19・6・1至6・30 航空勤務(1月ニ付キ2分の1月)
高知空
自7・1ヨリ10・31マデ 戦務丁(1月ニ付キ1月)
高知空
自19・11・1ヨリ20・8・15マデ航空勤務(1月ニ付キ1月半)
高知空・西条空
自20・8・16ヨリ9・2マデ戦務丁
西条空
20・9・30 現役満期(海軍一等飛行兵曹) 横志飛14712
2003年3月21日